2009年12月10日

何かを生み出す努力のもがき

 宮崎正孝著「剣道は私の哲学」12章 我慢すること、P166より。
 剣道の教えの中で、「溜める」という理念もまた、「我慢する」と並んで難しい修行だ。これもまた、修行という名に相応しく、「溜める」ことは容易でない。「力を溜める」、「心を溜める」、「呼吸を溜める」、この三つのどの教えをとっても、簡単にはいかない修行である。「溜める」ことは、「止める」ことにつながるので、「心」が氷のように固まってしまうことには、気を付けねばならない。「心」は澄んだ水のように、清らかで、何時も流れていなければならない。そうなると、「溜める」こともかなり厄介な問題だ。、、、
 、、、、p168より、岡山の石原範士は、「私はいま、剣道を散歩代わりにつかっておるんです。えらい剣道はできません。散歩代わりになるような剣道を、皆さん工夫するということ、これが一番の大事なことです。」といわれる。普段から、呼吸法、すり足の運用、散歩、自転車での道場通い、などなど、石原範士は、毎日、生活の中で剣道をされ、剣道は特別のものでなく、生活の一部である、ということであろう。これであれば、剣道をするときでも、心は剣道に捉われない、心をどこにも置かない。修行というのは、かくあるべきものなのであろう。
 相手を見て、相手の歩調に合わせて、遣えば、「我慢すること」が生きてくるばかりでなく、「溜めること」も生きてくるというもの。このように、「我慢すること」、「溜めること」は、「何かを生み出す努力のもがき」であるので、このように精神を強くしていけば、いつかは、「運命を凌ぐことができる」ようになり、楽に遣えるようになるのではないだろうか。
 長々と紹介しましたが、この本「剣道は私の哲学」皆さん是非読んでください。勉強になることが詰まっています。
 

shuseikan at 14:48│Comments(0)

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