2009年07月04日

月を看る

 古来より、さまざまな道の極意を示す喩えとして、好んで月をめぐる比喩が用いられてきましたが、何故なのでしょうか。
 日本武道館発行の菅野覚明著「武士道に学ぶ」P189より。
 江戸時代の儒教的な武士道は、修行の目標を天との一体化に求めました。この天と一つになるということには、二つの意味があります。一つは、あらゆる変化に通じて変わらない、確実な拠り所を手に入れるという意味合い。もう一つは、自己の行い、振る舞いが、天地とともに悠久であるという確信を手に入れること、天は、一定であると同時に不変であります。修行の目標は、天のあり方なのです。

 人の月を看る、皆徒(いたずら)に看るなり。
 須(すべか)らくここにおいて、宇宙無窮の概を
 想うべし。
        (佐藤一斎 「言志録」)

 多数の人は、実はただ漫然と月を見ているだけで、ただ月ばかりを見ていて、月の背景をなすところの空なる下地、すなわち見えない天そのものに思い至っていないということ。人間は、「動いている物」は見えるけれども、「物の動き」の方は見えにくいのです。月を見るときに本当に見なければならないのは、月そのものではなく、見えない動きのほうである。つまり、見るべきは天の働きのあり方にこそあるというのが、佐藤一斎の目のつけどころなのです。月の背景になっている、何もない空なる宇宙、その宇宙無窮の同一性、持続性を思うことこそが、月を見るということなのだ。道というものが、天に根拠づけられていることは、まさに疑い得ない事実として、目の前にあらわれているのです。
 内容が高度で、ちゃんと理解するのは大変ですが、今日この本を読んでいたら気になった所なのです。剣道の稽古、目付けに応用できないか、などと考えながら稽古をしました。
 今日7月3日は、祖父の命日でした。修行の目標のプレゼントを貰ったのかもしれませんね。がんばりま〜す。 

shuseikan at 00:12│Comments(0)

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