2009年04月07日

京都大会組合せ

 今年の京都大会組合せが、全剣連のHPに掲載されました。準備をしっかりやって、悔いの残らないような立会いをしたいと思います。これが難しいんです。毎年京都には行っていますが、後悔ばかりです。今年は、その後悔もほんのちょっとにできれば、と思います。
 小川忠太郎先生が、講演した時の内容を読んだことがありますが、その内容を以下に引用します。
 
 「無縄自縛」という言葉がある。剣道で例えるなら、相手の方が自分より強そうとか、反対に弱そうだ、、、と自分を縛った目でみる。自分自身を束縛していたのでは、いい動きができるわけがない。他人に縛られた縄なら他人に解いてもらわねばならないが、自分で縛ったものなら自分で解けばよい。一切のものが自分の心の中にあるのだから。修行をするということは、自分を縛っている縄を断ち切ることだ。言葉を変えれば、そんなもの捨ててしまえば「一念不生」だけが残る。だがここまで来られた人でも、「俺は名人になった。だからこれ以上の修行は必要はない」と考える人がいるかも知れないが、こういう人は早い時期に「一念不生」から脱落してしまう。ようやく、一念にたどり着いたところで手を抜けば、それまでの修行が水泡となって消えてしまう。人間は死ぬまで修行、生きている限り修行を続けることが大切で、忘れてはならないのであります。
(昭和56年6月神奈川県立武道館にて)


 「一念不生]とは、一片の妄心も起こすことのない、澄みきった境界に達する、ということ。ここまで到達できたら日本では神様。ところが、「一念不生」の素質は人間なら誰でも生まれたときから享有している。だから、「自分も持っているから出来る」と信じること、すなわち「自信を持つ」こと。自分以外の神や仏を信ずるのではなく、自分を信じなさい、根本はそこにある。
 

shuseikan at 23:13コメント(0) |  

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