2009年01月13日

随処に主と作れば、

 随処に主と作れば、立処皆な真なり
 ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり。『臨済録』の示衆に出てくる言葉です。
 人生という舞台では、順境逆境が次々に訪れるもの。出世街道を上るときもあれば、不遇な時代を余儀なくされることもある。だから、よりよく生きたかったら、その時、その場でおかれた状況をどう受け止め、どう行動するか。心の姿勢が求められるはず。自分を見失っては、仕事の、人生の主人公になれるはずがない。振り回されずに主人公になることができれば、もっとも即応できる働きができるし、生命を活かしきる真実の道にはずれない、ということです。
 「主と作れば」の「主」とは、自我的な自己ではない。自分を忘れたとき、自ずと働き出すほんとうの自己のこと。自分の置かれた状況に文句を言わず、粛々と従いながら、そこに意味を見出し活かしていくこと、どんな立場におかれても、にっこり笑って腹をすえて、大らかに生きたいものである。『禅、あたまの整理』より

shuseikan at 23:16│Comments(0)

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