2009年01月08日

一期一会

 この良く知られた言葉は、千利休の高弟、山上宗二(やまのうえそうじ)の著書『山上宗二記』に出てくる言葉です。よく知られるようになったのは、実はあの井伊直弼が『茶湯一会集』でこの言葉を使ったからだそうです。
 
 「そもそも、茶の湯の交会は、一期一会といいて、たとえば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざる事を思えば、実に我が一世一度の会也」
 
 わたしたちは、人と出会うとき、仕事であれ、遊びであれ、これが最後の出会いと思って、心して、語り、触れ合っているだろうか。だいたい、忙しいとか、ほかに用事があるとか、また会えると思って、その出会いを”ゾンザイ”にしていないだろうか。”ゾンザイ”は実は存在とも書く。
 つまり人との出会いをなんとなく、あるいは自分の都合でいい加減に会っているのなら、相手の存在、人格を軽んじている。さらに言えば人という存在は限られた生命を生きているのだから、相手の生命さえ軽視していることにほかならない。
 身近な家族には一期一会という覚悟が欠落しがちである。亡き人のこの世の不在という事実は、癒しがたい痛みを味わってはじめて分かるのだと思う。
 職場もおなじで、一期一会の生命の出会いが職場なのです。職場の人々と仕事ができることがすばらしいことなんだと、感じ取ることができる能力も一期一会の自覚なのです。一期一会は、これが最後の別れと、その場を惜しむという意味だけではあるまい。一期一会とは、自分が今、ここでどう生きているかを問うている人間のテストではないだろうか。藤原東演著『禅、「あたま」の整理』より
 剣道の稽古も「一期一会」です。
 よくよく考えるべし。

shuseikan at 23:16│Comments(0)

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