2010年08月
2010年08月27日
覚悟
昨日の出鼻面の影響か、本日の稽古では自分の方から出鼻面を打ちました。そうしたら、それが、今までになく良い感じで打てたのです。やはり師匠のお導きですね。すっかり上機嫌になりました。単純ですね。(笑)
「静思のすすめ」読み終わりました。p155より。
実は、お経の中には「覚悟」という言葉はありますが、「本気」とか「決心」という言葉はありません。なぜなら、「本気」は「気変わり」しますし、「決心」は「心変わり」するのです。そんな変化してしまうものは、一時の気持ちの高揚であって本物ではない。
しかし、「覚悟」は違います。「悟変わり」という言葉はない。なぜなら覚悟の「悟」は「悟り」ですから、変わらないのです。一度、あなたが本当に「目覚め」、そして「悟り」、「覚悟」の境地に至ったなら、二度と気持ちがぶれることはありません。
ならば、「悟る」とはどういうことか。それは、現実の自分を知ることです。自分がわかりさえすれば自然に覚悟は出来るのです。
逆を言うと、現実の自分を知るということは、本当に難しいことなのです。
如何ですか?この文章。結局は、自分探しの旅ですよね。よくよく吟味すべしですね。
この本の最後に「徹奘語録」が載っていますので、いくつか紹介させて頂きます。
自分で選んだ道なのに 自分で迷うことばかり
その瞬間 刹那刹那が一生一度
いのちを運ぶで運命 その運転手は自分
まちがいに 気づいたら 直せばいい
ここまでと 思ったら そこまで
あきらめがいい 求め方が弱い どっちだろう
すぐに答えの出ないときもありますよ あせらずに
またあとで またあした つもりつもって 今の自分
たまに湧くやる気は やる気じゃなくて気まぐれ
日々のくりかえし これに飽きた人が負け
「静思のすすめ」読み終わりました。p155より。
実は、お経の中には「覚悟」という言葉はありますが、「本気」とか「決心」という言葉はありません。なぜなら、「本気」は「気変わり」しますし、「決心」は「心変わり」するのです。そんな変化してしまうものは、一時の気持ちの高揚であって本物ではない。
しかし、「覚悟」は違います。「悟変わり」という言葉はない。なぜなら覚悟の「悟」は「悟り」ですから、変わらないのです。一度、あなたが本当に「目覚め」、そして「悟り」、「覚悟」の境地に至ったなら、二度と気持ちがぶれることはありません。
ならば、「悟る」とはどういうことか。それは、現実の自分を知ることです。自分がわかりさえすれば自然に覚悟は出来るのです。
逆を言うと、現実の自分を知るということは、本当に難しいことなのです。
如何ですか?この文章。結局は、自分探しの旅ですよね。よくよく吟味すべしですね。
この本の最後に「徹奘語録」が載っていますので、いくつか紹介させて頂きます。
自分で選んだ道なのに 自分で迷うことばかり
その瞬間 刹那刹那が一生一度
いのちを運ぶで運命 その運転手は自分
まちがいに 気づいたら 直せばいい
ここまでと 思ったら そこまで
あきらめがいい 求め方が弱い どっちだろう
すぐに答えの出ないときもありますよ あせらずに
またあとで またあした つもりつもって 今の自分
たまに湧くやる気は やる気じゃなくて気まぐれ
日々のくりかえし これに飽きた人が負け
2010年08月25日
静思のすすめ
大谷徹奘著「静思のすすめ」文春新書を読んでいます。そのp165から。
心の修練に十段階あると説いています(第十段階にまで到達できれば、「仏」と呼ばれる人になれるそうです)。その五段階に苦しみを除く方法が記されています。それが三つの静慮です。
仏さまは「心が苦しくなったときには、無理に足掻(あが)かず、心静かに、自分に三つの問いかけをしろ」と言われます。
その三つの問いかけとは、
1、安住静慮(あんじゅうじょうりょ)
2、引発静慮(いんぱつじょうりょ)
3、弁事静慮(べんじじょうりょ)
少し専門的な言葉なので、それぞれをわかりやすく説明すると、
1、の安住とは、「自分に与えられたものを、しっかりと見つめ積極的に受け止めていますか」という問いかけ
2、の引発とは、「初心を忘れていませんよね」という問いかけ
3、の弁事とは、「相手の心を忘れ、自分の思いだけで生きていませんか」という問いかけ
となります。
私は実際にこの三つの問いかけを自分自身にしてみました。そうすると自分が苦しんでいたときには、他人や他の環境を羨ましく見ていたことが分かりました。また、初心などはすっかりその存在すら忘れ、その時々の楽を求めていましたし、ただひたすらに自分の価値観を振り回す、という行為を繰り返していたことに気がつきました。
つまり、私はこの三つの問いかけに対して、望まれる答えとは全く逆の行為をなし、自分自身を苦しみへと導いていたようです。
−−−−−
「私たちが認めている世界は、すべて自分の心が作り出したものである」「心以外にはなにも存在しない」「すべては自分の心である」という考え方が「唯識」です。 p169まで。
皆さん、心と対話してますか。この本「静思のすすめ」是非読んでみてください。勉強になると思います。
心の修練に十段階あると説いています(第十段階にまで到達できれば、「仏」と呼ばれる人になれるそうです)。その五段階に苦しみを除く方法が記されています。それが三つの静慮です。
仏さまは「心が苦しくなったときには、無理に足掻(あが)かず、心静かに、自分に三つの問いかけをしろ」と言われます。
その三つの問いかけとは、
1、安住静慮(あんじゅうじょうりょ)
2、引発静慮(いんぱつじょうりょ)
3、弁事静慮(べんじじょうりょ)
少し専門的な言葉なので、それぞれをわかりやすく説明すると、
1、の安住とは、「自分に与えられたものを、しっかりと見つめ積極的に受け止めていますか」という問いかけ
2、の引発とは、「初心を忘れていませんよね」という問いかけ
3、の弁事とは、「相手の心を忘れ、自分の思いだけで生きていませんか」という問いかけ
となります。
私は実際にこの三つの問いかけを自分自身にしてみました。そうすると自分が苦しんでいたときには、他人や他の環境を羨ましく見ていたことが分かりました。また、初心などはすっかりその存在すら忘れ、その時々の楽を求めていましたし、ただひたすらに自分の価値観を振り回す、という行為を繰り返していたことに気がつきました。
つまり、私はこの三つの問いかけに対して、望まれる答えとは全く逆の行為をなし、自分自身を苦しみへと導いていたようです。
−−−−−
「私たちが認めている世界は、すべて自分の心が作り出したものである」「心以外にはなにも存在しない」「すべては自分の心である」という考え方が「唯識」です。 p169まで。
皆さん、心と対話してますか。この本「静思のすすめ」是非読んでみてください。勉強になると思います。
2010年08月21日
ノロハヤの太刀
剣道日本1984,10月号P139に柴田衛守の話が載っています。
柴田衛守は小沢愛次郎に向かって、ノロハヤの太刀を遣いなさい、と説いた。柴田のいうノロハヤの太刀とはどういうものであるかを、愛次郎は彼の「内原剣話」の中で次のように解説している。
ノロくてハヤい太刀というのは、文字通り早わざに対しては落ち着いてノロく、ノロい人に対しては早い太刀を遣えということで、要するに相手の出様によって、こちらで自由に扱わねばならぬことをいったものです。それにはまた「両者の間に糸を張っているように懸る人を休ませてはいけぬ。出て来れば下り、下れば出てせめるというようにピーンと糸を張るようにやれ」と私は教わりました。それにはこちらに「残心」の心持ち、一本打ってもまた懸るぞという心持ちがないとそれができない。ウッカリすると居付いてコチラも休んでしまうからダラダラ稽古が長くなる。「懸中待 待中懸」とか「其ノ來説ヲ避ケテ、其ノ惰気ヲ打ツ」とかいうのは残心をあらわした言葉である。こういうふうに稽古をすると、弟子どもは休んではいけない所がわかるようになる。
「マァ子どもがかかって来るのを子どもが面白い(と思う)ように上手に遣えるようでなくては駄目だ。元に立つ人は、せめすぎては子供が縮こまってしまう。三本に一本、二本打たせて一本打つくらいがいい」といわれましたよ。打たせるといっても気を抜かず態度をくずさずにやる。もちろん相手におびやかされては駄目。いい技が来たら打たせ、引き出してはまた追い込むようにする。
そして、上のように述べたあと、小沢愛次郎は「すべてこういう稽古は気当たりの剣道がわかると遣えるようになる。ペテン稽古やブッタタキじゃあわからないね。」と結論している。つまりはヘソを竹刀に載せろといった菊地為之助の言葉が気当たりの剣道の精神とすれば、ノロハヤの太刀を遣いなさいといった柴田衛守の言葉は気当たりの剣道の実技なのであった。両者の意見は、共に同一線上に位置している。
皆さん、参考になりましたか?よくよく吟味すべしですね。
柴田衛守は小沢愛次郎に向かって、ノロハヤの太刀を遣いなさい、と説いた。柴田のいうノロハヤの太刀とはどういうものであるかを、愛次郎は彼の「内原剣話」の中で次のように解説している。
ノロくてハヤい太刀というのは、文字通り早わざに対しては落ち着いてノロく、ノロい人に対しては早い太刀を遣えということで、要するに相手の出様によって、こちらで自由に扱わねばならぬことをいったものです。それにはまた「両者の間に糸を張っているように懸る人を休ませてはいけぬ。出て来れば下り、下れば出てせめるというようにピーンと糸を張るようにやれ」と私は教わりました。それにはこちらに「残心」の心持ち、一本打ってもまた懸るぞという心持ちがないとそれができない。ウッカリすると居付いてコチラも休んでしまうからダラダラ稽古が長くなる。「懸中待 待中懸」とか「其ノ來説ヲ避ケテ、其ノ惰気ヲ打ツ」とかいうのは残心をあらわした言葉である。こういうふうに稽古をすると、弟子どもは休んではいけない所がわかるようになる。
「マァ子どもがかかって来るのを子どもが面白い(と思う)ように上手に遣えるようでなくては駄目だ。元に立つ人は、せめすぎては子供が縮こまってしまう。三本に一本、二本打たせて一本打つくらいがいい」といわれましたよ。打たせるといっても気を抜かず態度をくずさずにやる。もちろん相手におびやかされては駄目。いい技が来たら打たせ、引き出してはまた追い込むようにする。
そして、上のように述べたあと、小沢愛次郎は「すべてこういう稽古は気当たりの剣道がわかると遣えるようになる。ペテン稽古やブッタタキじゃあわからないね。」と結論している。つまりはヘソを竹刀に載せろといった菊地為之助の言葉が気当たりの剣道の精神とすれば、ノロハヤの太刀を遣いなさいといった柴田衛守の言葉は気当たりの剣道の実技なのであった。両者の意見は、共に同一線上に位置している。
皆さん、参考になりましたか?よくよく吟味すべしですね。
2010年08月20日
「聞く」と「聴く」の違い
「心を開いて モノを見、心を開いて 人の話を聴く」
「聞く」ではなくて、「聴く」なのです。この違いわかりますか?
「聴く」という漢字には「耳」だけではなく「目」と「心」が入っています。十という漢字をプラスと読めば、「耳」だけではなく「目」と「心」をプラスしてしっかり聴くということです。「目」は横になっていますが、そのほうが目の形に近いようです。なので、しっかり目を見て、心を開いて、耳だけでなくて、目と心で聴いてみることが大切である、とある本に書いてありました。まさにその通りだと感じ入りました。
何か人から言われた時に、「そんなことわかっているよ。」と思ってしまう人がいますが、私もよく思ってしまうのですが、実は「そんなことわかっているよ。」と思った時は、わかっていないと思ったほうが良いようです。「確かにそうだ。確かに自分もそう思う。」と素直な気持ちでいられるか、心の在り方、が非常に大切であり、修行すべき点なのですね。(ココロの授業 比田井和孝著より参照)
「聞く」ではなくて、「聴く」なのです。この違いわかりますか?
「聴く」という漢字には「耳」だけではなく「目」と「心」が入っています。十という漢字をプラスと読めば、「耳」だけではなく「目」と「心」をプラスしてしっかり聴くということです。「目」は横になっていますが、そのほうが目の形に近いようです。なので、しっかり目を見て、心を開いて、耳だけでなくて、目と心で聴いてみることが大切である、とある本に書いてありました。まさにその通りだと感じ入りました。
何か人から言われた時に、「そんなことわかっているよ。」と思ってしまう人がいますが、私もよく思ってしまうのですが、実は「そんなことわかっているよ。」と思った時は、わかっていないと思ったほうが良いようです。「確かにそうだ。確かに自分もそう思う。」と素直な気持ちでいられるか、心の在り方、が非常に大切であり、修行すべき点なのですね。(ココロの授業 比田井和孝著より参照)
2010年08月12日
左手親指は下を向けろ
ご無沙汰していました。夏休みでゆっくりしています。とは言っても、普段できない大掃除をしているところです。現在進行形ですが、、。掃除をしながらふと剣道の本が出てくるとちょっと見てしまって、なかなか掃除の方ははかどりませんが、発見がありました。その中で、「剣道八十年」剣士小沢丘自伝より、柴田衛守の記事を見つけました。この本は、昭和57年10月31日発行、著者八十二歳の誕生日発行、の自伝です。
故柴田衛守先生 警視庁主席師範 習成館長 愛知県出身
愛知県豊橋生の人。早く江戸に出て警視庁に勤む。四谷左門町に習成館という道場を建て子弟を教育した。小柄な方だったが、上段で門奈先生を三隅に追い込んだということである。愛知県から上京した頃は苦労をした。竹刀を売って、生活の資としたとも聞いている。先生は左手の握り方を特別やかましく言われた。左手の親指が下を向いていなければ不可、横を向いていては駄目だとやかましかった。三河藩家老の出、金子師につき鞍馬流を継承した。鞍馬流十四代の宗家であり、頑固な人で、毛抜きでヒゲを一本々々抜いて顔に毛が一本もなかった。警視庁の時、長坂忠哉、菊地為之助先生と同格の三級の大先生で、晩年は警視庁主席師範であった。柴田勧(警視庁師範)先生は衛守先生の長男で親子二代警視庁師範は稀らしい。教士七段柴田鉄雄高校長は先生の孫である。
「剣道八十年」剣士小沢丘自伝 p239より
故柴田衛守先生 警視庁主席師範 習成館長 愛知県出身
愛知県豊橋生の人。早く江戸に出て警視庁に勤む。四谷左門町に習成館という道場を建て子弟を教育した。小柄な方だったが、上段で門奈先生を三隅に追い込んだということである。愛知県から上京した頃は苦労をした。竹刀を売って、生活の資としたとも聞いている。先生は左手の握り方を特別やかましく言われた。左手の親指が下を向いていなければ不可、横を向いていては駄目だとやかましかった。三河藩家老の出、金子師につき鞍馬流を継承した。鞍馬流十四代の宗家であり、頑固な人で、毛抜きでヒゲを一本々々抜いて顔に毛が一本もなかった。警視庁の時、長坂忠哉、菊地為之助先生と同格の三級の大先生で、晩年は警視庁主席師範であった。柴田勧(警視庁師範)先生は衛守先生の長男で親子二代警視庁師範は稀らしい。教士七段柴田鉄雄高校長は先生の孫である。
「剣道八十年」剣士小沢丘自伝 p239より