2009年12月

2009年12月28日

寸評

 先日届いた「剣窓」の中に、寸評が載っていました。今年の反省をまとめる意味で以下に要点を載せましたので、よくよく反省して、皆さん来年に向けて頑張りましょう。特に私自身反省すべき点が多々ありますが。 

 八段審査会(実技)寸評
 
 先の気、大変難しいですが、この気を解し、立合いができた方が少なく感じました。基本技術・基本技は、八段審査ではもちろん完成していなければなりません。先とは何かが解り、間合い・間(打つべき好機)を審査で表現できることが必要です。
 「自分から打って出て、自分が勝つ」・「相手も自分も打って出る、勝っているのは自分」・「相手が打ってくる、自分は打っていかない、しかし勝っているのは自分」この三つしかないのです。「攻めて打つ」・「攻めて打たせて打つ」、毎日の稽古で懸かる稽古をしっかりやって「懸待一致」・「気剣体一致」を目指したいものです。八段とはどの様な剣道なのか?イメージを持っているでしょうか?それに対し今の自分の稽古は?この差を埋めるのが稽古だと思います。まずは目指す剣道を自分の内に作ってください。、、、、

 七段審査会(実技)寸評

 、、、礼法・着装・構えについては、大変良かったと思います。しかし、立ち姿ばかりに気を取られ、充実した気勢が感じられませんでした。もっと気迫のある気合がほしいものです。
 打突の機会については、無理打ち、無駄打ち、また何となく打ちを出す光景が見られ、三殺法を駆使し、攻め崩し、攻め勝っての仕掛け技や相手を引き出しての応じ技等、心に響くものはあまりなかったように思われます。打とう、打たれまい、合格したい等の雑念を捨て、自信を持って日頃の力を出して欲しいものです。、、、、

 六段審査会(実技)寸評

 、、、立合い前には、清潔感のある剣道具、剣道着、袴を着用し、端正な着付け、面紐の長さ、物見での目付け等に留意し、負の要素を払拭した姿で立合いに臨むことが肝要かと思います。
 打突は常に「初太刀」という心構えをもって、触刃の間合いでの「心のやり取り」を大切にし、一足一刀の間合に入り、そこから気勢のある、打ち切る打突、または、相手を引き出しての技を出すように心掛けて欲しいと思います。
 、、、、短時間で自分の力を十分発揮するというのは非常に難しいことですが、稽古に裏打ちされた自信からくる「平常心」を涵養することも大切であろうと思います。

 如何でしたか?勉強すべき点が山積みだったのではないでしょうか。




shuseikan at 21:13コメント(0) |  

2009年12月27日

大掃除

 金、土曜日と稽古納め、大掃除と無事に終了することができました。実は土曜日は、二日酔いで一日棒に振ってしまいました。でも何とか大掃除だけはこなしたという感じです。皆様の御協力で、エアコン、換気扇、窓、床等ピカピカになりました。良い気が入ってくる感じで、気持ちよく一年を終えられそうです。大掃除に参加された方々、誠に有難うございました。

shuseikan at 10:53コメント(2) |  

2009年12月13日

命日

 今日、12月13日は、前館長の命日です。あれから、丸五年が経ちました。早いものですね。菩提寺の方のお話ですが、亡くなってからもこんなに頻繁にお参りに来られる方が多いのは珍しいそうです。墓石には、日本酒の冷酒中ビンがよく供えられています。お参りに来られる方が、故人が大好きなお酒を供えてしばらく墓石に向かって会話されている光景を見かけるそうです。本当に有り難いことです。故人もさぞや喜んでいることと思います。この場を借りてお礼申し上げます。合掌

shuseikan at 19:57コメント(1) |  

2009年12月10日

何かを生み出す努力のもがき

 宮崎正孝著「剣道は私の哲学」12章 我慢すること、P166より。
 剣道の教えの中で、「溜める」という理念もまた、「我慢する」と並んで難しい修行だ。これもまた、修行という名に相応しく、「溜める」ことは容易でない。「力を溜める」、「心を溜める」、「呼吸を溜める」、この三つのどの教えをとっても、簡単にはいかない修行である。「溜める」ことは、「止める」ことにつながるので、「心」が氷のように固まってしまうことには、気を付けねばならない。「心」は澄んだ水のように、清らかで、何時も流れていなければならない。そうなると、「溜める」こともかなり厄介な問題だ。、、、
 、、、、p168より、岡山の石原範士は、「私はいま、剣道を散歩代わりにつかっておるんです。えらい剣道はできません。散歩代わりになるような剣道を、皆さん工夫するということ、これが一番の大事なことです。」といわれる。普段から、呼吸法、すり足の運用、散歩、自転車での道場通い、などなど、石原範士は、毎日、生活の中で剣道をされ、剣道は特別のものでなく、生活の一部である、ということであろう。これであれば、剣道をするときでも、心は剣道に捉われない、心をどこにも置かない。修行というのは、かくあるべきものなのであろう。
 相手を見て、相手の歩調に合わせて、遣えば、「我慢すること」が生きてくるばかりでなく、「溜めること」も生きてくるというもの。このように、「我慢すること」、「溜めること」は、「何かを生み出す努力のもがき」であるので、このように精神を強くしていけば、いつかは、「運命を凌ぐことができる」ようになり、楽に遣えるようになるのではないだろうか。
 長々と紹介しましたが、この本「剣道は私の哲学」皆さん是非読んでください。勉強になることが詰まっています。
 

shuseikan at 14:48コメント(0) |  

2009年12月07日

溜め

 石原先生の講演の中に、「溜めについて」がありました。
 沢庵、武蔵の時代にはなかったそうです。また、昭和10年代京都の武専時代にも聞いたことがないそうです。難しい八段審査が始まって、誰と言うことなく研究されたのではないか、ということでした。溜めは、攻めには役立つが、攻めではない。溜め過ぎの幻覚として、攻めが効いたと思う錯覚がある、そのために機(きざし)がずれることになる。結局の所、気で攻め勝ち、捨てて、一拍子で打つ、溜めは良い丹田呼吸ができれば自然にできるようになる。攻めにも役立つし、風格、品位にもつながる。ということでした。本日の稽古は、この辺を考えながら試してみました。色々考えても、結局のところ一拍子で打つ、それをどこで出すのか、出す機会をうかがっている時が、溜めているときか?出遅れたら何にもならないですよね、「機」を観る、「きざし」を観る、この辺をよくよく研究すべしですね。ガ〜ンバ〜レ。

shuseikan at 22:39コメント(0) |  

2009年12月06日

ビデオ上映

 文化講演会に行ってきました。ところが、最初の挨拶の中で、石原先生が体調を崩され出席できないという話がありました。大変残念でした。どうするのかと思ったら、6月に他の所で講演されたビデオ上映をして、講演に換えるということでした。時間も同じ1時間半位でした。
 沢庵と武蔵の教え1.〜8.
 1.最高の地点に到達すれば、何をするにも手足がひとりでに動いて、そのことに少しも心を煩わせないようになる。(沢庵)
 2.「無師の智」を得るとは、師匠も教えてくれない。「根本智」を得るということ。「無作の妙用を発する」とは、およそ、愚かな一般人がやることは全て意識して行うため、煩悩が起こって苦しむのですが、この無策の働きは、作意なく自然に出るもので、「根本智」から行われるために、極々、自然で安らぎがあるものです。それで「妙用」というのです。(沢庵)
 3.世尊ねん華 迦葉微笑の物語をもってきて「教外別伝の正法」を説く(太阿記)
 4.兵法の道は自然の道である。自然に身をゆだねれば、不思議な力量が自ずから生ずるものである。(武蔵)
 5.空には善があって悪はない。(武蔵)
 6.知恵も心も一途に磨かなければならない(武蔵)
 7.心の持ちよう(武蔵)
 8.兵法にあって速さを重視するのは、実の道ではない。
見事な一本と老化の問題、溜めについて、のお話がありました。


shuseikan at 18:05コメント(0) |  

2009年12月03日

剣道文化講演会

 速いもので12月になりました。今度の土曜日12月5日は、剣道文化講演会があります。岡山の石原先生が「沢庵と武蔵の教えを使う」と題して講演をされます。15:00~16:30、場所は九段会館です。その前に、13:30~武道必修化の座談会がありますが、第2部の講演は、見逃せません。大正5年(1916)生まれの先生ですから、93歳になられます。私もここ3年ぐらい用が無いときは講演を聞きにいっていますが、この講演を聞きに全国から有名な先生方がちゃんとした格好をされていらっしゃっています。道場の皆さん、時間があったら、いや時間を作って是非聞きに行って下さい。剣道の修行にきっと役立つことが一杯聞けることと思います。今の段階で聞いてもわからないこともあるかもしれませんが、これから剣道をやっていくなかで絶対に役立つと思います。生涯剣道を目指すなら仕事を投げ出しても聞く価値があると私は確信しています。全剣連の宣伝マンではありませんが、お勧めです。是非、九段会館に行きましょう。九段会館で会いましょう。では会場で。

shuseikan at 22:37コメント(0) |  
習成館Official sie
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