2009年05月
2009年05月25日
月刊[武道」5月号
月刊[武道」5月号p163「古武道のひろば」に掲載されましたので、以下に紹介させていただきます。
池上本門寺で奉納演武 鞍馬流剣術
平成21年2月19日に鞍馬流第18代宗家・習成館館長柴田章雄先生による講演と奉納演武が、日蓮宗大本山 東京 池上本門寺にて行われました。
この企画は、主催者である日蓮宗全国声明師会連合会※が毎年行う声明師を対象とした研修会に「他道に学ぶ」というコーナーを設け、様々なジャンルの方に来て頂きお話を伺い、研鑽を積もうという意図で20年程前より行われているものです。過去には人間国宝の狂言師・野村萬(のむら まん)先生や、宮内庁式部職楽部(しきぶしょくがくぶ)主席楽長・豊英秋(ぶんの ひであき)先生など多彩な方々にお越しを頂いております。今回、柴田先生には「武道に於ける『声』『形(かた)』の重要性について」という内容でお願いしました。
第1部「かた」について
私ども僧侶は、合掌の「かたち」・礼拝(らいはい)の「かたち」などをとても重要に考えております。しかし、残念ながら僧侶の全てが正しい「かたち」で行っているわけではありません。極端な言い方をすれば、多少「かたち」が崩れていても、支障はないわけです。第1部では柴田先生には武道の「形(かた)」がいかに大事であるかをお話しいただき、その後東山誠先生との「日本剣道形」太刀七本目までと、「鞍馬流剣術」七本目までの奉納演武を拝見させていただきました。
第2部「こえ」について
お経は日々のお勤め・法事等の行事の中で僧侶の仕事として重要なものです。しかしただお経を唱えればいいというものではありません。仏天(ぶってん)や、法事等に参列されている方々に聴いて頂く為にはしっかりとした発声が重要です。しっかりした発声を行う為には、それなりの体力や気力を鍛錬しなくてはなりません。剣道の稽古がその両方をしっかり体得するには、とてもよく考えられていると思います。第2部では、剣道の稽古、特に基本稽古である切り返しや打ち込みが、いかに合理的に考えられて行われているかということを参加者にご理解いただく為、東山誠先生と軽部美好先生に実際に防具を着けての基本稽古を、柴田先生の解説を交えて行って頂きました。
まとめとして
第1部は「形(かた・かたち)」というのは「構え」につながる。そして最終的には「心構え」が重要であるというお話しでした。これは我々僧侶にとっても重要な事であり、いくら厳しい修行をしても、「心構え」が出来てないと意味のないものになってしまうことが良くわかりました。そして「心構え」をしっかりとしたものにするためには、見た目の「かたち」を鍛錬することが重要であるということを「日本剣道形」や「鞍馬流剣術」を拝見し、感じました。
第2部では柴田先生の細やかな解説を交えながら行われた、東山先生と軽部先生との気迫に満ちた基本稽古を、拝見し、「声」というものが「気迫」につながり、「発声」の良し悪しがその場の緊張感を作っていくのだなという事が、非常に良くわかりました。
今回約120名の参加者がありましたが、剣道に興味のない方も多数いらっしゃいました。そんな中で参加者一同が固唾を呑んでお話を伺い、実技を拝見しました。企画者である筆者としましては、大成功だったと思います。最後に柴田先生・東山先生・軽部先生にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
(日蓮宗全国声明師会連合会 事務局長 四谷 法恩寺副住職 吉田穣覚)
池上本門寺で奉納演武 鞍馬流剣術
平成21年2月19日に鞍馬流第18代宗家・習成館館長柴田章雄先生による講演と奉納演武が、日蓮宗大本山 東京 池上本門寺にて行われました。
この企画は、主催者である日蓮宗全国声明師会連合会※が毎年行う声明師を対象とした研修会に「他道に学ぶ」というコーナーを設け、様々なジャンルの方に来て頂きお話を伺い、研鑽を積もうという意図で20年程前より行われているものです。過去には人間国宝の狂言師・野村萬(のむら まん)先生や、宮内庁式部職楽部(しきぶしょくがくぶ)主席楽長・豊英秋(ぶんの ひであき)先生など多彩な方々にお越しを頂いております。今回、柴田先生には「武道に於ける『声』『形(かた)』の重要性について」という内容でお願いしました。
第1部「かた」について
私ども僧侶は、合掌の「かたち」・礼拝(らいはい)の「かたち」などをとても重要に考えております。しかし、残念ながら僧侶の全てが正しい「かたち」で行っているわけではありません。極端な言い方をすれば、多少「かたち」が崩れていても、支障はないわけです。第1部では柴田先生には武道の「形(かた)」がいかに大事であるかをお話しいただき、その後東山誠先生との「日本剣道形」太刀七本目までと、「鞍馬流剣術」七本目までの奉納演武を拝見させていただきました。
第2部「こえ」について
お経は日々のお勤め・法事等の行事の中で僧侶の仕事として重要なものです。しかしただお経を唱えればいいというものではありません。仏天(ぶってん)や、法事等に参列されている方々に聴いて頂く為にはしっかりとした発声が重要です。しっかりした発声を行う為には、それなりの体力や気力を鍛錬しなくてはなりません。剣道の稽古がその両方をしっかり体得するには、とてもよく考えられていると思います。第2部では、剣道の稽古、特に基本稽古である切り返しや打ち込みが、いかに合理的に考えられて行われているかということを参加者にご理解いただく為、東山誠先生と軽部美好先生に実際に防具を着けての基本稽古を、柴田先生の解説を交えて行って頂きました。
まとめとして
第1部は「形(かた・かたち)」というのは「構え」につながる。そして最終的には「心構え」が重要であるというお話しでした。これは我々僧侶にとっても重要な事であり、いくら厳しい修行をしても、「心構え」が出来てないと意味のないものになってしまうことが良くわかりました。そして「心構え」をしっかりとしたものにするためには、見た目の「かたち」を鍛錬することが重要であるということを「日本剣道形」や「鞍馬流剣術」を拝見し、感じました。
第2部では柴田先生の細やかな解説を交えながら行われた、東山先生と軽部先生との気迫に満ちた基本稽古を、拝見し、「声」というものが「気迫」につながり、「発声」の良し悪しがその場の緊張感を作っていくのだなという事が、非常に良くわかりました。
今回約120名の参加者がありましたが、剣道に興味のない方も多数いらっしゃいました。そんな中で参加者一同が固唾を呑んでお話を伺い、実技を拝見しました。企画者である筆者としましては、大成功だったと思います。最後に柴田先生・東山先生・軽部先生にこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
(日蓮宗全国声明師会連合会 事務局長 四谷 法恩寺副住職 吉田穣覚)
2009年05月19日
末は鞍馬の さかさまの世ぞ
先週、鹿児島に行ってきました。尚古集成館にも行きました。そこで、「子どもたちに、、、いにしへのいろはことば」という本を購入してきました。この中に、「日新公いろは歌」47首の人生訓が載っています。450年以上前に作られた歌で、今なお鮮やかに語りかけてくる力に驚かされます。その中に、鞍馬という言葉が目に飛び込んできましたので、紹介させて頂きます。
苦しくと すぐ道を行け 九曲折(つづらおり)の
末は鞍馬の さかさまの世ぞ
(苦しくても、正しい道を歩みましょう。
楽な方をえらび 曲がったことをしていると、
その結果は自分の身を ほろぼすことになります。)
「九曲折」とは、曲がりくねった坂道の意。「鞍馬」は山城の国の鞍馬山のことで、「さかさま」の「さか」にことばのあやでつづいている。即ちこの歌の意は、どんなに苦しいことがあっても、正しい道を歩め。もし、苦しいことに負けて、曲がったことを行けば、末はさかさまの世になって自分の身を滅ぼすことになる。どんな時にも境遇におし負かされることなく、自分の信念にむかって邁進しなければならない。
苦しくと すぐ道を行け 九曲折(つづらおり)の
末は鞍馬の さかさまの世ぞ
(苦しくても、正しい道を歩みましょう。
楽な方をえらび 曲がったことをしていると、
その結果は自分の身を ほろぼすことになります。)
「九曲折」とは、曲がりくねった坂道の意。「鞍馬」は山城の国の鞍馬山のことで、「さかさま」の「さか」にことばのあやでつづいている。即ちこの歌の意は、どんなに苦しいことがあっても、正しい道を歩め。もし、苦しいことに負けて、曲がったことを行けば、末はさかさまの世になって自分の身を滅ぼすことになる。どんな時にも境遇におし負かされることなく、自分の信念にむかって邁進しなければならない。
2009年05月08日
稽古再開
今日からまた稽古が始まりました。
少年稽古のなかで、防具をつけて間もない小学1年生が、稽古の最中、胴が外れて痛さを堪えて頑張ったのですが、しまいには泣き出してしまいました。しかし、その後がすばらしかった。むせぶような声で、相手に向かって行きました。そして、しばらく鳴きながらも打ち合っていたら、また、胴が上側にはずれて、わきの下あたりに直撃してしまいました。一瞬、沈黙の後、少年はさらに大きな声を上げて相手に向かって、かかっていったのです。この進歩、少年ながら、あっぱれでした。2回目にはずされ、普通なら戦意喪失でさらに大きな声で泣き出して稽古をやめてしまうかと思ったら、今まで以上に気合を入れて立ち向かって行ったのです。この前向きな姿勢を大人も見習わなくてはいけないと感じました。少年なりの一生懸命の稽古だったのです。大人の稽古もこの少年の必死さが求められているのではないでしょうか。剣道は上手から学ぶことはもちろんですが、下手から学ぶことの多いこと。立場を代えて見る、目付けですね。小学1年生のS田くん、頑張りました。
少年稽古のなかで、防具をつけて間もない小学1年生が、稽古の最中、胴が外れて痛さを堪えて頑張ったのですが、しまいには泣き出してしまいました。しかし、その後がすばらしかった。むせぶような声で、相手に向かって行きました。そして、しばらく鳴きながらも打ち合っていたら、また、胴が上側にはずれて、わきの下あたりに直撃してしまいました。一瞬、沈黙の後、少年はさらに大きな声を上げて相手に向かって、かかっていったのです。この進歩、少年ながら、あっぱれでした。2回目にはずされ、普通なら戦意喪失でさらに大きな声で泣き出して稽古をやめてしまうかと思ったら、今まで以上に気合を入れて立ち向かって行ったのです。この前向きな姿勢を大人も見習わなくてはいけないと感じました。少年なりの一生懸命の稽古だったのです。大人の稽古もこの少年の必死さが求められているのではないでしょうか。剣道は上手から学ぶことはもちろんですが、下手から学ぶことの多いこと。立場を代えて見る、目付けですね。小学1年生のS田くん、頑張りました。
2009年05月06日
京都
八段審査、3日間朝稽古参加、武徳殿での立会い、下鴨神社奉納演武、白峯神宮奉納演武と忙しい京都になりました。もう二十年近く京都には連続で行っていますが、今年の違う所は、やはり八段受験解禁でしょう。何年かかることでしょう?
もうひとつ、今年の違う所は、3日間朝稽古に参加したことです。3日間全部に参加したのは初めてのことです。やはり落ちたことのショック?でしょうか、今までの私では考えられません。急に真面目になってしまった?感じです。
真面目に稽古に参加したお陰で、大阪の石田八段に稽古をお願いできました。どっしりしていて、かつ早い。私より重そう?に見えますが、早いの何のって棒立ちでした。体重とスピードは関係がないことが良くわかりました。すべての打突を打ち切っていました。少しでも近づけるように練習します。
空き時間を利用して、大徳寺大仙院に行ってきました。沢庵漬けで広く知られた七世沢庵和尚が書院「拾雲軒」で宮本武蔵に剣の極意を授けたといわれていますが、その部屋で静座してきました。何か強くなった気がしました。単純すぎる?でも気持ちが落ち着くよい部屋でした。見学後、尾関宗園住職と話す機会があり、「今こそ出発点」にサインまでして頂きました。
「今こそ出発点」
人生とは毎日が訓練である
わたくし自身の訓練の場である
失敗もできる訓練の場である
生きているを喜ぶ訓練の場である
今この幸せを喜ぶこともなく
いつどこで幸せになれるか
この喜びをもとに全力で進めよう
わたくし自身の将来は
今この瞬間ここにある
今ここで頑張らずにいつ頑張る
京都 大仙院 尾関宗園
この色紙を見える所に貼って、明日から、いや今から頑張ります。
もうひとつ、今年の違う所は、3日間朝稽古に参加したことです。3日間全部に参加したのは初めてのことです。やはり落ちたことのショック?でしょうか、今までの私では考えられません。急に真面目になってしまった?感じです。
真面目に稽古に参加したお陰で、大阪の石田八段に稽古をお願いできました。どっしりしていて、かつ早い。私より重そう?に見えますが、早いの何のって棒立ちでした。体重とスピードは関係がないことが良くわかりました。すべての打突を打ち切っていました。少しでも近づけるように練習します。
空き時間を利用して、大徳寺大仙院に行ってきました。沢庵漬けで広く知られた七世沢庵和尚が書院「拾雲軒」で宮本武蔵に剣の極意を授けたといわれていますが、その部屋で静座してきました。何か強くなった気がしました。単純すぎる?でも気持ちが落ち着くよい部屋でした。見学後、尾関宗園住職と話す機会があり、「今こそ出発点」にサインまでして頂きました。
「今こそ出発点」
人生とは毎日が訓練である
わたくし自身の訓練の場である
失敗もできる訓練の場である
生きているを喜ぶ訓練の場である
今この幸せを喜ぶこともなく
いつどこで幸せになれるか
この喜びをもとに全力で進めよう
わたくし自身の将来は
今この瞬間ここにある
今ここで頑張らずにいつ頑張る
京都 大仙院 尾関宗園
この色紙を見える所に貼って、明日から、いや今から頑張ります。