2008年11月

2008年11月29日

禅の思想と剣術

 先日の8段審査会場の日本武道館で、佐藤錬太郎著「禅の思想と剣術」日本武道館発行、という本を購入した。今日から読み始めたばかりで丁寧には読んでいないのだが、何年かぶりに本当に良い本に出会えた感じがする。読むのが楽しみである。日本武道館発行の月刊誌「武道」に連載していた記事をまとめたものだと思いますが、内容がすばらしいです。まだ読み終わってもないのに、あとがきをめくっていたら、著者は佐藤貞雄先生のお孫さんにあたる方ということがわかり、そこでまた感動いたしました。それは、戦前の話ですが、佐藤貞雄先生は家が近くで習成館に稽古によくいらしていた、と聞いていたからなのです。この本に偶然に出会ったのですが、何か因縁のようなものを感じました。じっくりとこれから読んで研究していこうと思います。特に「心」について、安心、有心、虚心、残心、直心、平常心、不動心、放心、捧心、本心、無心、妄心といった禅語の言葉が出てきますが、その解釈が訳文、解説といった形でわかりやすく書かれています。これから内容もブログに書こうと思いますので、楽しみにしていて下さい。

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2008年11月27日

歩歩是道場

 「歩歩是道場」  
         趙州(じょうしゅう)の言葉です。
 どこにいても、そこが道場、人生修行の場だ、という意味。歩々とは、行住坐臥、いつでも、どこでも、だれでもということでしょう。
 お釈迦様は、「十二縁起」ということを説いています。「般若心経」に出てきます。
 イ、深層の自我意識
  〔橘澄ΑΑγ侶辰無い、根本的なエゴのこと。
  行・・・・そのエゴで行った、心の習慣のこと。
 ロ、自我意識の成立
  識・・・・認識、意識のこと。
  ぬ梢АΑΑβ仂櫃箸靴討諒事や、意識の土台と
        してある生命のこと。
  ハ仔・・・六つの感覚器官(六根)のこと。
  触・・・・外界と接触する働きのこと。
  Ъ・・・・感受する能力のこと。
 ハ、自我意識の現象
  ┛ΑΑΑΑβ仂櫃篌己に対する愛着の働きの
        こと。
  取・・・・それによってこだわること。
  有・・・・自己があるという思いのこと。
 二、自我の行為と結果
  生・・・・それによって生きがいを持つこと。
  老死・・・その生きがいを行うとそれ相応の
        苦労が伴う、ということ。
 以上が「十二縁起」で、人間の行為と、その結果の縁起を示しています。
 ここでわかるのは、〔橘世ら有の自己意識までの多くの条件の上に立って、生きがいが成立しているということです。そして、そこに知性が働き愚かさにこだわらなければ、よかったといえる生き方を実現でき、愚かになれば苦しみを輪廻する構造が明らかになっています。人生の自己責任を知恵をもって生きましょう。
 どこにいても、そこが道場、人生修行の場。修行とはわれを尽くすことなり。人は、自分の立場、自分の役目、自分の信念、自分の選んだ道を背負って生きているのです。そこで、最善を尽くすのが、いただいた命を生かしきる生きざまでしょう。社会生活の人生修行でも、剣道修行でも同じで、「われを尽くすこと」だと思います。
       中野東禅著 「禅語入門」より






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2008年11月26日

昇段審査と生涯剣道

「仏道は初発心のときも仏道なり、
    成正覚のときも仏道なり、
       初中後とも仏道なり」  
          「正法眼蔵」説心説性より

 ぶつどうはしょほっしんのときもぶつどうなり、
  じょうしょうがくのときもぶつどうなり、
   しょちゅうごともぶつどうなり


 大乗仏教では、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶつしょう)」といい、人間はすべからく生まれながらにして仏性=理想的な人格者になりうる素質を備えていると説く。人間は修行によってはじめて覚るものではなく、すでにして生まれたときから覚っている。
 人間には豊かな仏性が備わっているが、その仏性は磨かないことには、明らかにあらわれないものなのだ。
 学問や宗教を深めていく上で、危険なのは、いまの自分の鈍足なあり方に失望することだ。自分には能力がないと簡単にあきらめ、千里の先に輝く頂きをめざす意欲を喪失することだ。
 しかし、はじめて発心したときの仏道(剣道)も、修学途中の仏道(剣道)も、悟ったのちの仏道(剣道)もみな同じと考えたらどうだろう。
 千里の道を歩ききるためには、最初の一歩、最後の一歩、いやどの一歩をとっても等価値ではないか。千里の道一歩一歩のなかにあらわれており、どの一歩が欠けても千里の道を踏破することは不可能となる。
 こうして初心者にも勇気を与え、鼓舞したのち、道元は悟りには奥行きがないから絶えず修行につとめよという「証上の修」という独特の論理を展開した。道元は、人間は鍛えればどこまでも向上するものだと力強い啓示を与え続けている。           百瀬明治著  「名僧百言」より
 
 今年の昇段審査も終わりに近づいています。前館長は、ちょうど10年前の今日11月26日に、74歳で8段審査に合格しました。あれから、ちょうど10年です。
 私の恩師であり、父と同級生のI切先生は、今年も元気に8段審査を受審されました。結果は残念でしたが、1日目の受審者の最高齢でした。これからも元気で挑戦していただきたく思います。これからも生涯剣道の見本をお示し下さいませ。
 


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2008年11月18日

心にまよふ こころ成けり

  こころより こころをえんと 意得(こころえ)て
            心にまよふ こころ成けり
              「一遍上人語録」より

 人間の心とは、とかく頼りないものである。心に固執すればするほど心は頼りなく、定めがなくなっていくから、困ったものである。心を鈍化しようと試みれば、かえって心の呪縛のとりこになるだけで、悟り的な心境とはますます遠くなる。明鏡止水とはまずいくことがない、心中は迷いの濁りでいっぱいになってしまう。
 だから古人はたいてい、心から離れることが肝心だと説いた。無念無想、離念こそが本当の静謐(せいひつ)と思うがままの対応を可能にする要諦だとみなした。
 たとえば剣の達人や芸の達者がことあるごとに強調するのが、無念無想の境地である。心がどれほど行為の妨げになるか、心は妄念のるつぼであり、そういう心のとらわれを放念したところに、真の自在な能力を操ることが可能になる、という。一遍の離念の勧めは、私たち現代人がおちいりやすい自意識過剰の弊にとっても有効な戒めとなるであろう。  百瀬明治著 「名僧百言」より

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2008年11月15日

遇わねばならない人

60f88be6.jpg 明日は、いよいよ4,5段昇段審査です。受審される方々のご武運をお祈りいたします。普段の力が出せれば大丈夫です。
 写真を整理していたら、この夏に飛騨高山へ旅行した時に撮った写真が目に止まりました。

  たとえ  一生を尽くしてでも  
    遇わねばならない   ひとりの人がいる 
          それは私自身


 「自分探しの旅」「自己分析」ですね、結果が良い方が良いに決まっていますが、自分自身との会話が大事ですよね。剣先の会話も大事ですが、、、。審査中は無念夢想ですが、、、。心の会話、課題です。


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2008年11月13日

まさかの坂

 人はなかなか「まさか」という坂は越えられない、と言われています。
 前館長である父が亡くなってから、来月13日で丸四年になります。「まさかあの人が」という坂を無事に越えていく過程をグリーフワークと言うそうです。悲嘆解消プロセスのことです。亡き人の死を受容し、納得し、新しい自分を構築して、社会生活を歩み出すまでには誰でも時間がかかります。「まさか」という坂を越えていくには、自分の足元にある「おかげ」という影を追ってみることだそうです。そうすると、生前戴いたおかげさまを思い出します。私達は一瞬一瞬を他人や物から影響を受けて生きています。今の自分にとって良い影響を「おかげ」という言葉で表してきました。「あの人があの時に言ってくれた言葉で今の私がある。」こうした「おかげ」を思い出してみると、やり切れぬ喪失感の中に今の自分を肯定できるようになり、知らぬ間に「まさか」という坂を越えることになるそうです。
 ホームページのトップの亡き父が動いているのを見ていると、父もホームページ開設を喜んで笑っているように見えました。また、死んでもまだ動かされてはかなわない、とでも言っているようにも見えました。「亡くなった後から真実の会話が始まる」という実感が湧いてきました。今日は祥月命日です。合掌。

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2008年11月12日

自分らしく生ききる心

 禅語入門という本の中に、以下のような記述がありました。
 月をこよなく愛し、「月の歌人」といわれた明恵上人は、次のような和歌を詠んでいます。
  あかあかや あかあかあかや あかあかや
  あかあかあかや あかあかや月
 この和歌は川端康成さんがノーベル文学賞受賞記念公演で取り上げ、有名になりました。その明恵上人が、
  人は阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)という七文字を持つべきなり。
といっています。
 人としてのあるべきよう、私としてのあるべきようを持つべきだ、ということです。「あるべきよう」を心がけていれば、世の中に悪いことはあるはずがない、と明恵上人はいいたかったのでしょう。ちなみに、明恵上人は1173年に生まれた栂尾に高山寺を開いた高僧です。
 剣道の稽古、剣術の稽古のあるべきようを頭において、意識して、自分らしく生ききる心、その探求を求め続けたい。永遠の課題ですよね、課題がでかすぎた?頑張ろうっと。

shuseikan at 23:19|PermalinkComments(0)

2008年11月10日

本日よりHP公開

御陰様でホームページ公開までようやく漕ぎ着けました。末永くHPとブログ宜しくお願い申し上げます。今日は全剣連の合同稽古会に参加させていただきました。3人の範士の先生方にお願いして、調子は良かったのですが、最後に左足の肉離れをおこしてしまいました。HPをupした日に、怪我をするとは、先が思いやられますね。でも、これから、頑張りますので宜しくお願い致します。会員の方、不自由をお掛けしましたが、予定表など携帯からも見られますので、ご活用下さいませ。

shuseikan at 23:59|PermalinkComments(0)

2008年11月04日

明治神宮古武道大会

aa7e2998.jpg 毎年11月3日、日本古武道振興会主催の明治神宮古武道大会に参加させていただいています。会長さんの開会式の挨拶の中で、昭和10年より本大会は続いているというご挨拶がございましたが、鞍馬流も最初の大会より参加させていただいていて、祖父の柴田勧と柴田守一とで演武していることが、剣道雑誌にも出ておりました。戦争で一時中断はあったにせよ70数年も現在まで続いていると考えると身が引き締まる思いでした。この貴重な文化遺産であります古武道の保存振興を新たに心に刻む一日となりました。

shuseikan at 23:46|PermalinkComments(0)

2008年11月01日

心が技を創出する 

 心を込めて意識して練習をすれば、技が向上する。向上した技が心に働きかけて、心のレベルを向上させる。我巳発を以って相手の未発を抑ふ、是れ業と言わず気の位なり、千変万変は未発の心を指して言ふなり。未より巳に移る所を打ち出すべき。まだ、色に現れない形にも発しない間に、相手の心を察すること。枕を押さえる。相手が仕掛けんとする、その頭を押さえる。心で押さえる、体で押さえる、剣で押さえる。

shuseikan at 00:57|PermalinkComments(0)
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