2008年11月13日
まさかの坂
人はなかなか「まさか」という坂は越えられない、と言われています。
前館長である父が亡くなってから、来月13日で丸四年になります。「まさかあの人が」という坂を無事に越えていく過程をグリーフワークと言うそうです。悲嘆解消プロセスのことです。亡き人の死を受容し、納得し、新しい自分を構築して、社会生活を歩み出すまでには誰でも時間がかかります。「まさか」という坂を越えていくには、自分の足元にある「おかげ」という影を追ってみることだそうです。そうすると、生前戴いたおかげさまを思い出します。私達は一瞬一瞬を他人や物から影響を受けて生きています。今の自分にとって良い影響を「おかげ」という言葉で表してきました。「あの人があの時に言ってくれた言葉で今の私がある。」こうした「おかげ」を思い出してみると、やり切れぬ喪失感の中に今の自分を肯定できるようになり、知らぬ間に「まさか」という坂を越えることになるそうです。
ホームページのトップの亡き父が動いているのを見ていると、父もホームページ開設を喜んで笑っているように見えました。また、死んでもまだ動かされてはかなわない、とでも言っているようにも見えました。「亡くなった後から真実の会話が始まる」という実感が湧いてきました。今日は祥月命日です。合掌。
前館長である父が亡くなってから、来月13日で丸四年になります。「まさかあの人が」という坂を無事に越えていく過程をグリーフワークと言うそうです。悲嘆解消プロセスのことです。亡き人の死を受容し、納得し、新しい自分を構築して、社会生活を歩み出すまでには誰でも時間がかかります。「まさか」という坂を越えていくには、自分の足元にある「おかげ」という影を追ってみることだそうです。そうすると、生前戴いたおかげさまを思い出します。私達は一瞬一瞬を他人や物から影響を受けて生きています。今の自分にとって良い影響を「おかげ」という言葉で表してきました。「あの人があの時に言ってくれた言葉で今の私がある。」こうした「おかげ」を思い出してみると、やり切れぬ喪失感の中に今の自分を肯定できるようになり、知らぬ間に「まさか」という坂を越えることになるそうです。
ホームページのトップの亡き父が動いているのを見ていると、父もホームページ開設を喜んで笑っているように見えました。また、死んでもまだ動かされてはかなわない、とでも言っているようにも見えました。「亡くなった後から真実の会話が始まる」という実感が湧いてきました。今日は祥月命日です。合掌。