2010年09月08日

大森先生の言葉

 今日は、台風の大雨で稽古にいらっしゃる方が少なかったです。それでも求めて稽古に来られる方々には、頭が下がります。

 大森玄伯先生の言葉が載っていましたので、ご紹介します。
一部省略しています。
 

 修練の目標では常に心・気・力が一致するとか明鏡止水の心境で相手と相対して十二分に自分の持てる技量を発揮する、それがまず一番ではないか。それから今度は人間形成がある。湯野正憲先生は剣道というものは瞬間、瞬間に自分を創造する、つくりあげる、そしてそれを鍛錬する、そして人間形成に進む道と言われている。勝ってやろう、どうしてやろう、負けるんではないかという気持ちではなしに本当に相手の姿がそのまま自分の心にぱっと映ってくるような状態そういう心境にいつでもなれることがまず修練目標だと思う。
 一日稽古を怠ける、休むと次の日には観念的なものとか・身体的ものが衰える。だから、鍛え、鍛え抜かなくてはいけない。それによって自然に生まれてくる技とか気力を身につけ人間形成というものまで毎日毎日の練習で真の自己を創造してつくりあげ鍛錬していく。これが百錬自得です。
 その条件を満たすいろいろの方法、平生の練習方法として、「工夫げいこ」と「数げいこ」がある。工夫げいこは、一本一本をよく工夫する。吟味してけい古する。数げい古は、練習回数を多くする、その中で得られるところの拍子とかこつを体得する、これは量的なけい古です。五輪の書では、能く能く工夫すべし、吟味すべし、鍛錬すべしと言葉を使い分けている。前二つは、工夫げいこ。鍛錬するは、数げい古。
 論語の中で「学びて思わざれば則ちくらく思いて学ばざれば則ちうたがう」
という言葉がある。幾らやっても考えない、工夫しないならどうだろうか、という惑いが出てくる。工夫ばかりして、いろんな学ぶこと忘れると壁に突き当たる
両々相まっていかなければならない。よく工夫して、よく鍛錬して、練習することによりその人の底力が出てきます。
 そのためには自分の心構えとして、愛と捨の二つを持っていなければならない。愛は好きであるということ、愛し楽しむことが大切。捨は我(が)をすてること、いろいろ生活の中で制約がある、だから全部打ち込むということは困難 だが、打ち込んでいくということはできる。ただ好きという愛のみではいばらの道は切り開けない。自分が自分の我を捨てて正しい服従心、人から言われたことは素直に受ける気持ちを持つ、自分の気持ちに打ち勝つ(克己心)苦難に耐えること。稽古相手を選ぶという我、気を抜くという我、この我を捨てること大切。
また自分で自分に言い訳をつくり怠けること、これも我です。この我も捨てること大切。
 愛と捨、道を愛する、小我を捨てるこれで平生の稽古が違ってくる。
 もうひとつ良い師につく、正しい指導者につく、これが大切。中村勘三郎(歌舞伎の名優)が今の役者は早くうまくなりたい、上っ面だけ役者の姿求めている
と言っている。剣道も同じ、剣道の指導者であるという心構え、自覚をもってそのために自分を鍛え自分に厳しくする祖先の残した日本伝剣道を次に正しく伝えなければならない。ただの棒振りではダメです。交剣知愛、愛はおしむとよむ、もう一度あの人とやりたいという指導者になって欲しい。



shuseikan at 23:17コメント(0) |  

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