2009年01月27日

打つ、打ち切る

 今日のジュニアクラスの稽古の中で、M尾先生が「正しい打突」について、ご指導されていらっしゃいました。小学生には「気剣体の一致」といった難しい言葉は勿論わかりません。言葉を噛み砕いてわかりやすい説明でした。
 「打突」とは、打つ、突くと書きます。打つ、といっても段階がたくさんあります。日本語の難しい所でもありますが、漠然としています。人によって解釈、イメージに差が生じてきます。
 岡憲次郎先生は、打ちにも段階があり、叩く、当てる、打つ、打ち、打ち切る、とおっしゃっていたことを、思い出しました。稽古後の挨拶時に、打つについて少し話をさせてもらいました。叩く、当てる、打つ、打ち、打ち切る、と段階があること。叩く、といってもわかりにくいので、たたくとはトイレのドアをノックする、トントン、入っていますか。竹刀でトントンでは軽すぎ、打ちが弱いことは、理解したようです。ハンマーで釘を叩くだと、力の入りすぎ。打ち切るまでにはまだ時間がかかりそうですが、話をしないとわからないので一応話をしました。小学生に教えることの難しさを改めて再確認しました。
 小学生でも大人でも、自分の体験、経験にてらして物事を理解しようとするので、やはり「自得」しかないこと、経験することの大切さ、意識の持続、いろいろ大切な要素を確認することができました。問題意識の継続、これは何事でも大切なことです。求道精進ですね。


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2009年01月25日

事理相忘より

 昨日に引き続き、岡憲次郎先生が指導者講習会で講演された、「私の剣道修行」の中から。事理相忘P30より。
 私がやっていることを皆さんに言います。
 一つは足を出しながら打っていく。右足を。これはどこからヒントを得たかというと剣道形です。形は右足を出しながら打っていくわけです。右足をそのままの状態で踏み込むことは形ではありません。そこに気付いたわけです。私は右足を出しながら打つように心掛けています。
 二つ目は自分の膝が指の先にかかったらその重心を抜かないと打てない。だから自分の重心がどこまでかかったら足が抜けなくなるか。親指の付け根。そこまで重心が出ていくまでには打てます。ですから、膝を自分の親指の付け根までゆっくりと出していく時間に相手の人は動いたところを察知し、打ってくる。そこのところを動いた状態から動いた状態で打つ方が早い。そしたら打てる。
 三つ目は、頭をずーっと出していく。そうすると身は懸かりになったらだめだといいましたけれども足との関係がありますけれども、自分の重心を爪先にかからないようにして頭を出します。あんまり早く出すとだめなんですけどゆっくり。相手は動いたのを察知して打ってきますからそこを打つ。
 もう一つは右足を出したら、右足に力を入れますと、さっき言った指の先に力が入ります。右足を出しても右足に自分の重心を移動させません。しかしそこを相手は動いたと思って打ってくる起こりを右足に重心がかかっていませんから抜いて打つことができます。しかしこの状態で打てなかった足を継ぎます。けれども左足を継ぐとき相手の人も打ってきます。やはり左足を出す。さっき言ったような気、そういうものを抜かないようにしないと相手に打たれます。
 剣道というものは非常にいろいろなことを考えながらやっていかないとできないですから難しい。

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2009年01月24日

裏鎬

 岡憲次郎先生が指導者講習会で講演された、「私の剣道修行」の中に、裏鎬の話が出てきます。事理相忘P36より。
 柳生連也斎は、表鎬のない刀を作らせた。よく切れる。そして調べたところ包丁は皆そうですね。台所の包丁は、片鎬です。よく切れる。
 だけど今は切る剣道じゃない。剣道は右足が前に出て右手も前に出ますから、右半身になる。力を剣先の物打ちに集中させるためには、どう左側の力がまとまっていくかということを考えないと竹刀の物打ちに力が集中しません。そのためには表鎬はしのげますけれども、裏でしのぐときには、腰の回転がないとしのげません。
 湯野先生も裏鎬を勉強しろと言われました。さらにはこうも言われました。「剣道は絶対にさがるな。打つな! 刀ではそう簡単に打ってはいけない。吸う息より吐く息を三倍かかって吐け。」と。
 裏を攻め竹刀を下げて自分の方が裏へ持っていこうと思うと小手があきますから打たれるのです。だから、裏へ持って行き方があるわけですけれども、そういう勉強して裏から攻めて自分の左の腰、左の膝、左の肘、左の拳。そういうものをなるべく前に出すようにして、左手の親指を相手の臍に突っ込むような感じで打突をしていかないと自分の打突が物打ちに集中しない。そこを勉強して下さい。

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2009年01月20日

剣は心なり  

 昔の剣術は、剣を遣って相手を殺す技術、相手に勝つ技術を学ぶ為のものであると言われていました。
 しかし、「剣道」は剣を遣って相手ではなく、自分の心を磨き、相手の成長を助けるためのものであります。剣道の稽古の中で、礼儀作法を学びそして尊び、稽古相手を尊敬するということは、こうした理由からなのです。この考え方、方法を我々は「道」と呼びます。
 我々祖先が「術」から「道」へ、長い歴史を経て、昇華させたのです。
 これが、現在多くの人達が日本人の文化として愛好し、修行している剣道なのです。
 勝海舟の剣の師匠でもあり、剣心一致を説いた島田虎之助が言い残した言葉です。
   
   剣は心なり  
     心正しからざれば  
       剣また正しからず  
         剣を学ばんと欲すれば
           先ず心より学ぶべし
 

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2009年01月17日

日本古武道振興会

 日本古武道振興会の新年懇親会があり、今年も参加させて頂きました。
 日本古武道振興会は、昭和10年2月、松本学貴族院議員、小山松吉司法大臣、二荒芳徳伯爵等当時の有識者と古武道各流代表者が集まり結成されました。
 日本の誇るべき伝統文化財である古武道の衰徴を憂い、その保存と振興を図ることを目的としました。昭和15年には財団法人の許可を受け、戦後になり占領軍や諸般の事情から昭和21年1月財団法人を自主解散し、現在は任意団体として活動しています。
 初代会長松本学先生のご遺訓があります。
 『武は内に蔵して外にしめすべからずと云われています。毎日真剣に行じた事々を心の糧として謙虚な心を以って日常生活を意義づけてゆく事こそ古武道振興会の目指す所です。各流各派の流祖が心血を注いで大成し、一器より一器にうつす如く伝えて来た古武道の尊き伝統を各位の一層の精進とその完き継承とを切に望まれるものであります。』
 このことを銘じ、古武道伝承の使命に尽くして参りたいと存じます。
「毎日を真剣に取り組み、謙虚な心を以って日常生活を意義づける」ですね。頑張りまーす。

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2009年01月15日

己を顧みて己を知れ

 「己を顧みて己を知れ。たとひ学文広くしていかほど物を知りたりとも、己を知らずば、物知りたるにあらず。」 鈴木正三(1579〜1655)
 知識を得るということは、そういう営みを通して己を知ることでなくてはならない。自分自身というものを知って究めようとする姿勢がない限り、知識を集積しようとしても、それは所詮知識のための知識にしかならない。己の裏づけのない知識など、いくら集めても結局は、我が身を肥やす肥料とはならない。本来の自分がしっかりと築けてこそ、あらゆる知識も生命をおびて躍動してくる。知識それ自体は「本来の自分」にたどり着くうえでの重要な補助輪である。
 

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2009年01月13日

随処に主と作れば、

 随処に主と作れば、立処皆な真なり
 ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり。『臨済録』の示衆に出てくる言葉です。
 人生という舞台では、順境逆境が次々に訪れるもの。出世街道を上るときもあれば、不遇な時代を余儀なくされることもある。だから、よりよく生きたかったら、その時、その場でおかれた状況をどう受け止め、どう行動するか。心の姿勢が求められるはず。自分を見失っては、仕事の、人生の主人公になれるはずがない。振り回されずに主人公になることができれば、もっとも即応できる働きができるし、生命を活かしきる真実の道にはずれない、ということです。
 「主と作れば」の「主」とは、自我的な自己ではない。自分を忘れたとき、自ずと働き出すほんとうの自己のこと。自分の置かれた状況に文句を言わず、粛々と従いながら、そこに意味を見出し活かしていくこと、どんな立場におかれても、にっこり笑って腹をすえて、大らかに生きたいものである。『禅、あたまの整理』より

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2009年01月10日

第32回日本古武道演武大会

990a1cf4.jpg 日本古武道協会設立三十周年記念 
 第32回日本古武道演武大会 
のポスターと招待券が本日郵送されてきました。鞍馬流剣術も今回出場させて頂きます。
 この大会の趣旨は、わが国の長い歴史と伝統を持つ古武道の「技と心」を広く一般に紹介し理解を得るため、全国各地に伝わる古武道の中から厳選した流派による演武会を開催し、文化遺産である古武道の保存伝承に寄与する、ということです。
 みなさん、お時間のある方は見学して下さい。何枚か招待券がありますので、ご希望の方はお申し出下さい。
  日時 平成21年2月8日(日)
      午前10時30分開会 
      午後4時30分閉会予定
  会場 日本武道館
  鞍馬流剣術 3番目11:16〜11:24の予定
        東山誠 柴田章雄 2名出場 
 

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2009年01月08日

一期一会

 この良く知られた言葉は、千利休の高弟、山上宗二(やまのうえそうじ)の著書『山上宗二記』に出てくる言葉です。よく知られるようになったのは、実はあの井伊直弼が『茶湯一会集』でこの言葉を使ったからだそうです。
 
 「そもそも、茶の湯の交会は、一期一会といいて、たとえば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざる事を思えば、実に我が一世一度の会也」
 
 わたしたちは、人と出会うとき、仕事であれ、遊びであれ、これが最後の出会いと思って、心して、語り、触れ合っているだろうか。だいたい、忙しいとか、ほかに用事があるとか、また会えると思って、その出会いを”ゾンザイ”にしていないだろうか。”ゾンザイ”は実は存在とも書く。
 つまり人との出会いをなんとなく、あるいは自分の都合でいい加減に会っているのなら、相手の存在、人格を軽んじている。さらに言えば人という存在は限られた生命を生きているのだから、相手の生命さえ軽視していることにほかならない。
 身近な家族には一期一会という覚悟が欠落しがちである。亡き人のこの世の不在という事実は、癒しがたい痛みを味わってはじめて分かるのだと思う。
 職場もおなじで、一期一会の生命の出会いが職場なのです。職場の人々と仕事ができることがすばらしいことなんだと、感じ取ることができる能力も一期一会の自覚なのです。一期一会は、これが最後の別れと、その場を惜しむという意味だけではあるまい。一期一会とは、自分が今、ここでどう生きているかを問うている人間のテストではないだろうか。藤原東演著『禅、「あたま」の整理』より
 剣道の稽古も「一期一会」です。
 よくよく考えるべし。

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2009年01月04日

剣道の極意

 渡辺敏雄著『剣道の歴史と哲学』の6章「剣道の極意」から。
 この極意は鞍馬山の鬼一法眼が源義経に授けたと称せられる極意である。もとの出典は中国の兵法書『六韜』の中にある極意であると称せられる。
 
 来則迎、去則送、対則和、五五十、二八十、一九十、以是可和、察虚実、識陰伏、大絶方所、細入微塵、殺活在機、変化応時、臨事莫動心。

 来レバ則チ迎エ、去レバ則チ送ル、対スレバ則チ和ス、五五ノ十、二八ノ十、一九ノ十、是ヲ以ッテ和ス可シ、虚実ヲ察シ、陰伏ヲ識ル、大ハ方所ヲ絶シ、細ハ微塵二入ル、殺活機二在リ、変化時二応ジ、事二臨ミテ心ヲ動ズルコト莫レ。


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2009年01月01日

謹賀新年

 旧年中は一方ならぬご厚情を賜りまして誠に有難うございました。
 本年も習成館、鞍馬流が益々発展するよう頑張りますので、昨年同様ご指導ご鞭撻の程何卒お願い申し上げます。
 皆様方のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
 平成二十一年 元旦 習成館館長 柴田章雄

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2008年12月18日

今日は昨日の我に勝つ

 「禅の思想と剣術」p314に、柳生十兵衛が、『月之抄』の末尾で次のように極意について総括しているのが載っています。以下、訳文です。

 この無心の心を散らさず、千手万手、事理ともに無心の心にさせるのである。相手から、動けば、この心がなすのである。この心のままに、五体を随わせるがよい。勝負に拘泥してはいけない。この心が勝つ処である。打つのも、合わせるのも、付けるのも、引くのも、懸かるのも、外すのも、この心にまかせて、是非善悪を捨て置くのがよい。捨て置いた、無心の心を無見と心得るがよい。何もかも捨て切って、ない心であるが、死んでしまった様ではなくて、敵が動けば、それに随って、この心が勝負を分け、敵が無心であれば、こちらの心も無心で敵と一体と成るのである。一体になったら、勝負はなくなり無事であり、無心である。心がないのだが、ないとはいえない処が無見である。これは千手観音の体である。摩利支尊天が出現する処であると知らねばならぬ。

 著者の解説、柳生十兵衛が把握した剣禅一如の極意とは無心の心にほかなりません。摩利支天は日光を神格化したインドの神ですが、日本では武士の守本尊とされてきました。沢庵禅師の剣禅一如の教えが柳生流に浸透していたことがわかります。「今日は昨日の我に勝つ」という柳生新陰流の教えは、生涯にわたって剣術修行、自己研鑽に努める必要性を説いた教えです。この教えは現代の剣道修行に受け継がれています。「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」、昨日よりは上手に成り、今日よりは上手に成りて、一生日々仕上ぐる事也。是れも果てなきと云う事也。

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2008年12月10日

吹毛の剣

 風邪をひいてしまいました。この年で、声変わりしています。皆さん体調不良なのか、忘年会なのか、私の体調を思ってか、今日の稽古にいらっしゃった人数は少なかったです。お忙しいことと思いますが、是非稽古に励んでください。
 禅語入門という本の中に、「吹毛の剣」(すいもうのけん)という禅語がありました。大切なことをまっすぐに受け取る力、ことの本質に気づく力のことです。
 指導者というものは、部下の力量や性格を咄嗟に見極める力量を要求されます。仮に日常の対人関係で、相手の心のかすかな動きが見えてきたら、相手を読み取る力がついたということであり、同時に相手によって自分の読み取る力が養成されたということでしょう。
 「吹毛の剣」というのは、風などに吹かれて揺れている毛をスッパと切る、とても鋭い剣のことです。それは空の心でいるときには、対象をただちに読み取る力があるということも示しており、「碧巌録」にある禅語です。
 棟方志功さんが、年末に友人にお金を借りに行くのですが、借金のことが言い出せなくて、帰るといったところ、友人は、「この寒空にスーツだけでは寒すぎる。僕はコートを二着持っているからひとつ着ていきたまえ。」と着せてくれます。その後家を出て、「とうとう借金のことをいえなかった。」と後悔しながら、コートのポケットに手を入れると紙屑のようなものが手に触り、取り出してみると、紙幣が2枚折れて入れてあったという話です。「あいつばかだな。お札を入れたまま人にコートをくれた。」と思った瞬間に気づいたのです。「あいつ、俺が借金に行ったのがわかったんだ。俺がいい出せなかったから、コートに入れてくれたんだと。」
 その友人が棟方さんの心を理解したのは、「吹毛の剣」だったからでしょう。
 相手の心を読み取るときに、こちらが自由、無心でないと、自分の思い込みという色眼鏡が判断を狂わせます。相手と自分の、両方のこだわりから自由になって物事をはっきりと見極める力は、覚めた心と、純粋な目的意識でしょう。澄んだ目的意識があれば、相手も自分も空の目で見極められるでしょう。中野東禅著「禅語入門」より
 この「吹毛の剣」を稽古に応用できれば、と思い長々と書いてしまいました。よくよく研究すべし、ですね。


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2008年12月08日

月例会

 習成館では、月例会と称して、第2月曜日に稽古の後に道場で親睦会をしています。飲み会です。会費は千円、皆様の持ち込み、差し入れもあり、内輪で盛り上がって剣道談議に花を咲かせる会です。今日の稽古をスクリーンに大きく映して、それを見ながら先生、先輩、兄弟子からアドバイスを受けて、今後の稽古の指針にするという会のことです。何故このようなことを書いたかといいますと、今日稽古にお見えになった方に、「ホームページをみました。大変良くできていますね。でも、予定表の月例会て、何ですか?」と、質問されて、どうゆう会なのかここに書かなくては分からないと思い書いた次第です。今日は今年最後の月例会なので、昇段した方のお祝いの会と考えていたのですが、寂しいことに、、、。でも来年また頑張ろうということで会は終了しました。ちなみに、来年の一月の月例会は、第3月曜にしました。これは、第2月曜が、新宿剣連の新年会と重なった為です。お間違えのないように、多くの方の参加をお待ちしております。私も来年から受験生になります。皆さん一緒に頑張りましょう。求道精進あるのみ。

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2008年12月06日

剣道文化講演会

 剣と人と宇宙と
 講演会を聞いてきました。松井先生は、「剣と宇宙ーその道を極めん」という題で、講演されました。自然とは、宇宙の歴史を記録した古文書のようなものであり、自然を解読するということは、古文書解読と同じである。20世紀までに人類が獲得した「智の体形」のこと、地球システムの中で「人間圏」を作って生きること、人類の未来を現世人類(ホモサピエンス)から考えること、テーマが壮大でした。
 次の伊藤先生の講演は、生まれながらに持っている内なる自然治癒力こそ病気を癒す根本であり、「自ら癒し、生活を律し、暮らしを立て直す文化、養生法の復権」を力説されました。
 ヒポクラテスの箴言「生命はみじかい 技術はながい 機会は去りやすい 経験はだまされやすい 判断はむずかしい」いつの時代でも通じる言葉です。
 Dubos「生というものは、静的なものは何ひとつない冒険である。生の表現はすべて刺激や挑戦に対する反応と言える。すべての細胞は宇宙からの力を感じ、未だ我々にはわからない機構によってそれに反応している。」
 これまたテーマが壮大でした。せっかく良い話を聞いてきたのですから、それを活かす努力をしなくてはいけないと思いました。
 こういう出会いを大切にすることが大切ですよね。耳から入り、耳から出て行くだけでは時間の無駄になってしまいますから。会場の参加者の中には遠くから来ている先生も多数いらっしゃいました。求めて、講演を聞きに来ているのですね。求道精進ですね。負けずに頑張ろっと。

shuseikan at 18:37コメント(0)│ 
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