2009年12月07日

溜め

 石原先生の講演の中に、「溜めについて」がありました。
 沢庵、武蔵の時代にはなかったそうです。また、昭和10年代京都の武専時代にも聞いたことがないそうです。難しい八段審査が始まって、誰と言うことなく研究されたのではないか、ということでした。溜めは、攻めには役立つが、攻めではない。溜め過ぎの幻覚として、攻めが効いたと思う錯覚がある、そのために機(きざし)がずれることになる。結局の所、気で攻め勝ち、捨てて、一拍子で打つ、溜めは良い丹田呼吸ができれば自然にできるようになる。攻めにも役立つし、風格、品位にもつながる。ということでした。本日の稽古は、この辺を考えながら試してみました。色々考えても、結局のところ一拍子で打つ、それをどこで出すのか、出す機会をうかがっている時が、溜めているときか?出遅れたら何にもならないですよね、「機」を観る、「きざし」を観る、この辺をよくよく研究すべしですね。ガ〜ンバ〜レ。

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2009年12月06日

ビデオ上映

 文化講演会に行ってきました。ところが、最初の挨拶の中で、石原先生が体調を崩され出席できないという話がありました。大変残念でした。どうするのかと思ったら、6月に他の所で講演されたビデオ上映をして、講演に換えるということでした。時間も同じ1時間半位でした。
 沢庵と武蔵の教え1.〜8.
 1.最高の地点に到達すれば、何をするにも手足がひとりでに動いて、そのことに少しも心を煩わせないようになる。(沢庵)
 2.「無師の智」を得るとは、師匠も教えてくれない。「根本智」を得るということ。「無作の妙用を発する」とは、およそ、愚かな一般人がやることは全て意識して行うため、煩悩が起こって苦しむのですが、この無策の働きは、作意なく自然に出るもので、「根本智」から行われるために、極々、自然で安らぎがあるものです。それで「妙用」というのです。(沢庵)
 3.世尊ねん華 迦葉微笑の物語をもってきて「教外別伝の正法」を説く(太阿記)
 4.兵法の道は自然の道である。自然に身をゆだねれば、不思議な力量が自ずから生ずるものである。(武蔵)
 5.空には善があって悪はない。(武蔵)
 6.知恵も心も一途に磨かなければならない(武蔵)
 7.心の持ちよう(武蔵)
 8.兵法にあって速さを重視するのは、実の道ではない。
見事な一本と老化の問題、溜めについて、のお話がありました。


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2009年12月03日

剣道文化講演会

 速いもので12月になりました。今度の土曜日12月5日は、剣道文化講演会があります。岡山の石原先生が「沢庵と武蔵の教えを使う」と題して講演をされます。15:00~16:30、場所は九段会館です。その前に、13:30~武道必修化の座談会がありますが、第2部の講演は、見逃せません。大正5年(1916)生まれの先生ですから、93歳になられます。私もここ3年ぐらい用が無いときは講演を聞きにいっていますが、この講演を聞きに全国から有名な先生方がちゃんとした格好をされていらっしゃっています。道場の皆さん、時間があったら、いや時間を作って是非聞きに行って下さい。剣道の修行にきっと役立つことが一杯聞けることと思います。今の段階で聞いてもわからないこともあるかもしれませんが、これから剣道をやっていくなかで絶対に役立つと思います。生涯剣道を目指すなら仕事を投げ出しても聞く価値があると私は確信しています。全剣連の宣伝マンではありませんが、お勧めです。是非、九段会館に行きましょう。九段会館で会いましょう。では会場で。

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2009年11月27日

審査終わり

 審査終わってしまいました。
 気が抜けたというか、目標に向かって計画を立てなくてはいけないところですが、気持ちの切り替えがまだできません。と、思いながら、審査の日も今日もまたいつものように稽古している自分がいる。稽古できることは、本当に有り難いことです。
 落ちたことによる発見がいくつかありました。この辺の所から、修正していこうと思います。原田先生と当日お話している中で、審査を受けている人の大部分の人が、間合いの外で時間をかけて見ている、入るとすぐに相手に関係なくすぐに打ちに行っている、もっと中に入ってから時間をかけて見る、相手の呼吸を見て対応する、その辺をしっかりやらないと審査はダメです、というお話を頂きました。この辺りをじっくり稽古していこうと思います。
 今日の稽古後、ささやかですが、六段昇段のお祝いでビールを飲みました。受かった人にとっては、段々実感がわいてくる美味しいビールだったことでしょう。道場の皆さん、「次は自分の番だ。」という気持ちで頑張りましょう。美味しいお酒が待っていますよ。

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2009年11月25日

六段審査

 11月25日東京武道館で行なわれました六段審査で、以下の2名の方が見事合格されました。誠におめでとうございました。
 軽部 美好   
  川村 明夫
 また、今日は日本武道館で八段審査の2日目がありました。私はダメでした。5月の審査と同じで、相手が1次合格しました。ここ2回とも、受からせ役に徹している感じになってしまっています。また、一から頑張ります。道場の皆さんも一緒に頑張りましょう。道場から、今回は2名の合格者が出たことが、何より嬉しいです。



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2009年11月23日

審査の週始まる

 いよいよ審査の週が始まります。道場の皆さん、良い知らせが届くように頑張って下さい。
 道場の掃除や道具の確認をしている時に、一本の電話が入りました。K叔父からでした。審査前の励ましの電話でした。何か、親父に言われているような気がしてなりませんでした。内容は、、、、秘密ですが、要約すると、自信を持ってやりなさい、ということでした。良いアドバイス誠に有難うございました。頑張ります。
 審査は、相手との戦いの前に自分の心との戦いであり、心の整理が大切ですね。無心、無欲に成りきる、自分を信じ、教えを守り、心静かに明鏡止水で呼吸を調えて構え、少し遠間に距離を保ち、一寸刻みで間を詰め、触刃の間、交刃の間、一足一刀の間から攻め崩し、機を見て捨て身で打ち切る。心が動けば、構えも崩れる。構えが崩れなければ、絶対に打たれない。自身を持つべし。
 機を見て、の教えの言葉に「露の位」があります。千葉周作「剣法秘訣」より。
 たとえば草木に露あり、その草木に触るればその露たちまち地に落ちるものなり。剣術もその如く向こうの動くところ、起こる頭、出る頭そのところをのがさず打つ突くべし。このことを誤るものは、向こうの太刀このほうの太刀に触るるを合図に打ち突きを出すことと心得るものあれどもさようのところにあらずよく考うるべし。

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2009年11月16日

復旧しました

 ご迷惑をお掛けいたしましたが、やっと、ブログ復旧しました。
 今日の稽古は、審査本番モードでやりました。何が本番かというと、稽古着、袴、防具一式を当日使うもので稽古したのです。後でビデオを見て分かったのですが、稽古着の着付けが悪いのです。袖がまだ短いのです。肌が見えていて、右手が余計に突っ張っている感じがしました。実は、今日着た稽古着は父のもので、私にはちょっと小さいのです。それがわかっただけでも良かったです。「我慢しなさい。」が頭から離れないのですが、見すぎて出遅れているようです。色々と考えているようではダメですね。明日から、基本打ちに専念していこうと思います。
 今日、女性の経験者の方が稽古にいらっしゃいました。職場がお近くということで、これから稽古したいということでした。目標に向かって頑張って下さい。応援しています。

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2009年11月15日

只今工事中

 ブログの調子が突然悪くなりました。調べてもらったら、契約した期間が切れたようです。確かに丁度1年になりました。料金は支払って書式は、何とか直ったのですが、ホームページのトップ画面の「習成館ブログ」からは入れません。ご迷惑をお掛けしますが、もうしばらくお待ち下さい。只今、工事中。

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2009年11月11日

意識して生きる

この言葉が目に留まりました。

 「明日は、明日こそは」と、人はそれを慰める。
 この「明日」が、彼を墓場に送り込むその日まで。(ツルゲーネフ)

 私たちは、今日出来ないことの言い訳を明日に求める。明日になれば、きっと出来ると自分を慰める。しかし、この言葉のように、やるべきことを明日に持ち越しても、事態は何も変わらないのですね。今日のやるべきことは、明日のやるべきことに追加されるだけであり、そして明日が来ても、またいつもの今日になってしまっていては、ダメなのですね。この悪循環を断ち切るためには、今日という一日を人生の中に一回しかやってこない特別な日にすることだそうです。今日とか明日とかいう普通名詞を捨ててしまい、繰り返しやってくる今日や明日という日を自分の特別な日にすること。そのためには、意識をして時間を使うしかない。今日も明日も黙っていても来るもの。その黙っていても来る一日に特別な意味を与えるのは、この自分しかいない。そう意識することだ。
 以上のような、言葉が目に留まりました。剣道の稽古に置き換えてみると、ただ稽古していても、時間が経ったら直るかと言ったら、直らないのですね。意識して生きる、意識して稽古する、今日という稽古を特別な稽古にする。
これ、よくよく吟味すべしですね。


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2009年11月10日

親父に掛かる?

 今日は、全剣連の稽古会と道場の月例会が重なりました。全剣連の方は、さぼろうかと、ふと思ったのですが、さすが審査2週間前、当日の会場視察も兼ねて参加させて頂きました。最初に、原田源治先生にお願いを致しました。原田先生は、親父と同級生です。今日は、色々な八段の先生がいらっしゃるなかで、何故か親父に掛かる気持ちで先生にお願いを致しました。「我慢しなさい。」というお言葉を頂きました。我慢できずに、自分勝手に打ちに行っていました。初太刀を如何に我慢できるか、これから稽古したいと思っています。 それからすぐに、道場の方へ戻り月例会に参加しました。道場には、これまた、親父の同級生の岩切先生が稽古にいらっしゃって下さいました。色々と、審査前に良いアドバイスを頂きました。誠に有難うございました。何か、親父に代わって両先生とも、言ってくださっているようで、がんばらなくてはと痛感しています。稽古は、いつも通りでしたが、第2道場の終了したのは、0時を回っていました。これから、6段を受験される方が、3人いらっしゃって、ああでもないこうでもない、ただの酔っ払いといえばそれまでですが、審査当日に向けて、心新たにできたのではないでしょうか。良い結果がでれば良いのですが。おやすみなさい。

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2009年11月08日

1級審査

 今日は、区剣連の1級審査がありました。道場からD氏が見事合格しました。おめでとうございます。
 彼は、フランスの方ですが、すばらしい面が何本も入っていました。2段も合格といった出来栄えでした。形も立派でした。外国の方は一人だけでしたが、堂々として大変良かったです。それと比較しては申し訳ないのですが、日本人はどうしたのでしょうか。ちゃんと切り返しも出来ない人、面紐がちゃんと結べない人、形も覚えてない人、、、、。勿論、ちゃんとできている方も大勢いらっしゃいましたが、試験があるから一応受けてみようといった感じの受験生が意外と多く見受けられました。
 私も見ていて考えさせられる点がありました。自分自身、受験資格ができたから昇段審査を受けているのではないかと。審査員の目から見れば、目に付くことばかり、、。ということにならないように、残り少ない審査の日まで、直せる所は直すといった謙虚な姿勢で稽古に取り組んでいくべきだな、と感じました。他人の振り見て我が振り直せ。

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2009年11月03日

明治神宮古武道大会

DSCN2695文化の日は、毎年明治神宮の古武道大会に参加させて頂いています。今年も鞍馬流は出場しました。昭和10年の第1回の大会から出場しています。今年は、6名で演武いたしました。鞍馬流演武者 柴田章雄 東山誠 岩田満治 松尾和夫 松井康一 吉田穣覚  以上6名参加しました。
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DSCN2692


 



この大会も毎年盛大になって参りましたが、JAの協力で出店が一杯出ていました。宝船」があり、思わず写真を撮ってしまいました。
 古武道の奉納演武会場の横では流鏑馬の演武もあり、観客の人達も一杯いました。特に外国の方がいつもより多く感じました。今、古武道のような日本文化が注目されているのですね。改めて実感しました。



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2009年10月31日

今日で一周年

 今日で、習成館HP、ブログの開設一周年になりました。
 HP効果でしょうか、色々な方面から連絡がくるようになりました。
中でも一番は、鞍馬流の巻物が寄贈されたことです。道場に入門したいという連絡も以前と比べるとだいぶ多くなってきました。有り難いことです。
 テレビ局からは、道場を貸して欲しいとか、芸能人の剣道をやっているところを撮影したいとか、外国人のツアーで剣道を体験させてはもらえないかとか、まぁ色々です。都内の道場ということで連絡がくるのでしょうが、それはそれは様々です。ほとんどすべてお断りしています。剣道の普及発展には、道場としても協力していきたいと考えていますが、道場という昔ながらの「しきたり」は守ってもらいたいのです。神棚がある神聖な場所という概念に欠けているのです。剣道、剣術、武道をやっている方にはわかってもらえると思いますが、一般の方は金銭感覚だけで話をもってくるのです。これは、いただけません。道場という文化をもっと理解していただきたいですね。
 話が、ホームページ、ブログとは変わってしまいましたが、これからも宜しくお願い致します。

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2009年10月30日

心をもって心を打つ

 「審査員の目」という本の中から、青木範士の言葉。
 相手を攻めるには、「気」も「剣」も「体」も使って、全身全霊で相手を攻めなければならない。この3つの要素を1つにして攻めることを「三攻一致」といいます。気で攻める、剣で攻める、体で攻める
(中略)
 溜めとは、「溜めが足りねば、気負いとなる。溜めが過ぎれば居つきとなる。溜めは、時間ではない。気負いと居つきの間にある。」(岡田茂正先生の言葉より)。溜めるとは、我慢する・辛抱することで、「三攻一致」で攻めると相手はこちらが打ってくると身構える。そこに打ちを出すことは、自殺行為といえます。攻めながら溜めると、相手はなんらかの反応を起こす、そこが「機」です。溜めることは、「機」を見ることでもあります。「機」とは、相手の心・体・術の替わり際に起こる兆しです。 「機」は、相手の打つべき隙です。隙は、すべて心に起因しています。そのことを山岡鉄舟先生は、隙とは打ちたい心・打たれたくない心と喝破しておられます。よくよく考えれば、まさにそのとおりです。「構心不異」という言葉があるが、構えと心は同じであるということは、心が動けば構えも崩れるという意味です。
 気負い・居付き・四病もその根底には心の問題があります。究極のところは「心をもって心を打つ」ということを、日頃の稽古において心掛けなければなりません。ここに剣道の限りのない深遠さが存在するのです。
 いかがですか。この文も含蓄のあるすばらしい文です。昇段審査前の初太刀のポイントがぎっしり詰まった文ですよね。よくよく吟味すべしですね。


shuseikan at 00:07コメント(0)│ 

2009年10月29日

審査員の目

 以前に購入した「審査員の目」という本の中から、水野範士の言葉。
 構えも蹲踞も、いざ戦うという充実した気迫・気力・気勢で立ち上がり、相手の中心線を取って一寸刻みで間を詰め、自分の打ち間に入る。当然相手も同じように攻めてくるはず。このとき、相手によっては攻撃してくるかもしれないが、その攻撃に対し、いつでも対応できるように気を抜かず、出ばなを打つもよし、抜いてもよし、押さえてもよし、すり上げてもよし、返してもよし。要は先々の先の気で攻めていれば応じることもできるはずである。
 精神力と集中力で一本の技に徹し、一足一刀の間から打ち出すこと。もしその打ちが外れたら、さらに一歩踏み込んで連続技で決めること。
 (中略)
 ほとんどの者が苦汁を飲まされるのは剣道の四病と欲望に自己の心が乱れ自己を失うからで、ここまできた気持ちもわかるが、無欲・無心になれれば答えは出るはずである。すなわち自分とのたたかいで、それこそ心・胆・精神力・集中力・決断力が一瞬にして要求される。合格という欲望と相手との戦いで冷静な無心の心がなければならない。自分を信じ、教えを守り、いかなる相手でも使いこなすことができるように努力することである。
 無欲・無心になりきり、心静かに一点の曇りのない状態で(明鏡止水)、呼吸を調えて構え、少し遠間に距離を保ち、一寸刻みで間を詰め、触刃の間、交刃となり、一足一刀の間から攻め崩し、打つ機会があったなら思い切った捨て身の技を出すことであるが、中心線を攻めていれば必ず打つ機会が生まれる。心の焦り、心の不安を捨てて、ただ無心で打ち込むことである。
 いかがですか、この文章。立会いの初太刀を大切に、よくよく吟味すべしですね。

shuseikan at 00:20コメント(0)│ 
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