大会翌日の稽古

 大会翌日の月曜日の稽古は、三人だけでした。本日は、九人ほどに増えましたが。大会の翌日は、普通なら疲れてしまって休んでしまいがちですが、三人の方が稽古にいらっしゃいました。求めて稽古していました。この方たちは秋に昇段審査が控えていますが、きっと良い結果になるような気がしました。おっと、私も稽古したので、実際は四人でした。私も良い結果になればよいのですが、そう簡単には受かりませんよね。求めて稽古を続けること、これが大切ですよね。
 話は飛びますが、立体看板なかなか好評のようです。道場の前の道を歩いている人が、立ち止まって見上げている光景をよく見かけるようになりました。この前は、携帯で写真を撮っている人もいました。ちょっと驚きです。インパクト大有りです。

柴田杯大会

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 皆様お疲れ様です。無事大会も終了することができました。盛大に終わることが出来ましたこと、この場をお借りしてお礼申し上げます。誠に有難うございました。
 今年の大会では、警視流木太刀之形を演武させて頂きました。その時の写真を添付しますので、ご覧下さい。
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 皆様もご承知のことと思いますが、警視流木太刀之形の二本目は鞍馬流の変化です。厳密に言いますと、ちょっとづつ違いがあるのですが、当時の有名な流派の代表的な技を十本取り入れて作られていますので、現代剣道を学ぶ上でも、大変勉強になる形だと思います。習成館道場では、初代館長衛守、二代館長勧が警視庁師範だったこともあり警視流木太刀之形が伝わっておりますが、勉強不足のこともあり色々みんなで研究をして行こうということで今力を入れているひとつです。鞍馬流は勿論、警視流も研究し、剣道に活かしていただきたく思います。
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演武の最後は、鞍馬流をやらさせていただきました。
 

立体看板完成

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 ついに、ついに立体看板が完成しました。
 柴田杯に間に合いました。春から構想を練って進めてきた話ですが、時間が足りなくて間に合わないかも、、と言われて心配していましたが、何とか間に合いました。なかなかリアルにできていますね。道を歩いている人からも剣道場なんだ、とインパクトがあるものに仕上がりました。関係各位に感謝申し上げます。有難うございました。
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夜になって、ライトアップされた看板も素敵で思わず写真を撮ってしまいました。

大会準備

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 いよいよ明後日になってしまいました。前日だとばたばたするので、稽古後準備をしてしまいました。
 紅白幕、第20回柴田杯剣道大会の看板、本日書いたものです。あまりうまく書けませんでしたけど。

記念品

 第20回柴田杯剣道大会の記念品の用意ができました。
記念品
 ウイスキーグラスですが、勿論日本酒でもワインでも、飲めない方はソフトドリンクでもOKです。何か記念になるものを是非作りたいと、T子伯母さん(89歳)の希望で実現いたしました。本人は、春に体調を崩し現在も入院中で、20回の大会を一番楽しみにしていましたが、当日は、まだ入院中で、退院までもうしばらくかかるので出席できません。そこで、本人の強い希望で「ご参加頂いた方々の皆様方に是非記念品をプレゼントしたい。」「費用も自分が持つ。」ということで、このグラスを作製することになりました。誠に有り難いことです。習成館道場に対する強い気持ちの表れなのですね。考えてみれば、大正7年に現在地に新しく道場をと云う事で移転してきて、2年後に生まれて、初代衛守、2代目勧の稽古を身近に見てきた生き証人なのですから道場に対する思いは誰よりも一番強いのだと思います。
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グラスには、初代衛守の歌の下の句、「ただねり込みて 功をつむべし」、習成館 面の絵 が描かれています。
 文鎮とかも考えたのですが、昇段祝いの乾杯用に、それぞれの思いを込めて飲んで頂きたく用意させていただきました。使って頂けると幸いです。

大会の出欠

 柴田杯の準備をしていた所、ご案内の通知がもれている方がいらっしゃることがわかりました。誠に申し訳ありませんでした。第20回柴田杯剣道大会は9月6日、今度の日曜日に開催いたしますので、手違いでご案内が行かなかった方がいらっしゃいましたら、これを読んで知った方もご連絡を頂きたいと思います。
 ご連絡が行かなかった方には他意はございませんので、どうかお許し頂ければ幸いです。どうもすいませんでした。

求める稽古

 しばらくのご無沙汰でした。ずーと、夏休みだったわけではありません。道場の稽古は、例年よりも休みは少ないのです。では、今まで何をしてたかって?ご想像にお任せすることにして、昨日は、全剣連の稽古会に参加させて頂きました。この1,2年で八段に合格された、若い八段の先生方3人に稽古を頂くことができました。その後、急いで帰宅し道場の稽古に出ました。皆さん、求めて稽古しているんですね。何段であろうが。求め方、求める度合いは、人によって違いはありますが、求め方は段位とは、関係がないように感じました。求め続けている人が最後には大成するのですね。私も頑張って、求め続けて行こうと思います。今日は良い稽古を頂きました。

夏休み

 一週間夏休みに入りますので、習成館活動予定表をご覧いただき、お間違えのないようにお願い致します。
 次回の稽古は、8月10日(月)月例会からとなります。

心をしっかり持つ

25690a92.jpg 今日、原宿に行く機会がありました。明治神宮の原宿口にある大きな看板が目に止まりました。思わず、立ち止まって写真を撮ってしまいました。

 かたしとて 思ひたゆまば なにごとも
 なることあらじ 人の世の中 (明治天皇)

 目標に向かって心をしっかり持ちましょう

 心をしっかり持つってことは、大切なことだなと思いながら歩いていると、心をしっかり持つってことは、どういうこと?という疑問が湧いてきました。それは、人によって答えが違ってくることだと思うので、自分なりのしっかり持つを追い求め続けることなのかなーとか思いながら歩いていました。何気ない看板も意識して見ていると、考えるべきことがいっぱいあるのだなーと思いました。

暁天講座

 かたよらない心、こだわらない心、
 とらわれない心、広く広くもっと広く、
 これが般若心経、空の心なり。

 昨日ブログに書いた言葉を唱えてきました。
 今朝5時起きして、6時半から薬師寺東京別院の暁天講座に参加して声高らかに唱えてきました。1時間大谷徹奘執事の『心のしくみ』の法話を聞いてきました。
 「心静かに考えろ」「静慮行」について
 1 自分に与えられているものを喜んで受け止め活かしているか。
 2 初心信念を貫いているか。
 3 「相手の人にも心あり」を忘れてないか。
以上3つが、苦しみを抜いてくれる方法です。剣道の稽古にも活かせそうですよ。よくよく研究すべし。

拘り

 こだわる、拘り、こだわれ、今この言葉にこだわっています。何か洒落のようになってしまいましたが。
 色々な状況で判断をする際に、自分に拘って、自分を守ろうとしがちになります。正しい判断ができないのも自分の置かれた状況に縛られているからですね。
 無意識のうちに自分に拘って、自分というものを守ろうとするのです。
 でもそれは、自分に対しての関心の薄さ、無知の表れなのですね。自分自身をもっとよく見つめて、客観的に自分を見て、自分の限界を理解し、己を捨てて前進する。
 このことを今、剣道の面にこだわる、に置き換えて考えています。面を打つ瞬間の心とは、之如何に?面に拘りすぎてはいけない、しかし面に拘る、拘り抜いた結果拘らない心、無心の心にいきつくのでしょうか。よくよく吟味すべしですね。武蔵様。

 かたよらない心、こだわらない心、
 とらわれない心、広く広くもっと広く、
 これが般若心経、空の心なり。
 (薬師寺)


 自分というものを捨て去って、
 何が正しいかを考え、
 なすべきことをなしていくところに、
 力強い信念なり勇気が沸き起こってくる。
 (松下幸之助)

巻物

f2f1b8d7.jpg 今日嬉しいメールが届きました。山形県から鞍馬流の巻物の写真を送付して頂きました。柴田衛守の花押が入った目録です。大正8年の日付が入っていますので、90年ぶりに里帰りしたことになります。プリントアウトして、仏壇に供えさせていただきました。戦災で鞍馬流の資料はほとんど焼失していますので、今になって巻物の内容が見られたということは貴重なことでした。これも、昨年秋にホームページを開設したお陰ですね。わざわざご連絡を頂き、写真を撮ってメールで送信していただきましたこと、この場を借りてお礼申し上げます。誠に有難うございました。

言志四録

 昨日の歌の作者、佐藤一斎について調べてみました。

『生涯学習研究e事典』日本生涯教育学会
  上寺康司著より抜粋。
 佐藤一斎(1772年〜1859年)は,江戸末期の儒学者であり,70歳にして昌平坂学問所の儒官となり,88歳にて没するまで知力・気力の衰えることなく,同学問所の学問と教育を主宰した人物であり、一斎自らが生涯教育,生涯学習の体現者であったといえます。
 一斎の生涯学習論は,彼の名著ともいえる『言志四録』にみられます。
 『言志録』 42歳1813年以後、11年間で246条
 『言志後録』57歳1828年以後、10年間で255条
 『言志晩録』67歳1838年以後、12年間で292条
 『言志耋録』80歳1851年以後、2年間で340条
全編で1133条で構成されています。
 『言志四録』は一斎の40代前半までの自らの人生の経験と学問修養とそれに基づく思索をふまえて書き始め,50代,60代,70代,80代と学問修養と人生経験をさらに深めながら書き記したもの。換言するならば一斎自身の生涯教育,生涯学習の軌跡であり、一斎の人間としての学びの修養・工夫からにじみでた随想録,人間としての在り方生き方を指南した人生の書として,時代を越えて多くの人々に読み継がれきました。『言志四録』の歴史的な影響としては,西郷隆盛を始め多くの明治維新を実現した幕末の志士たちに愛誦されたことがあげられます。特に西郷隆盛は『言志四録』から101条を抜粋,抄録し,絶えず座右に置き,自らの行動の指針としました。今日もなおも多くの人々が理想のリーダー像と認める西郷隆盛の在り方生き方に影響を及ぼしたことは,一斎の『言志四録』に見られる思想の実践性を物語っています。また『武士道』の著作で知られる新渡戸稲造も明治44(1911)年に出版した『修養』の中で,随所に佐藤一斎の『言志四録』を引用しています。  生涯学習の根本として引用されるのが『言志晩録』第60条です。

 「少(わか)くして学べば,則ち壮にして為す有り。
  壮にして学べば,則ち老ゆとも衰へず。
  老いて学べば,則ち死すとも朽ちず。」

 佐藤一斎の生涯学習論では,生涯学習を人間の生涯にわたる「学び」ととらえています。この学びとは,人間が充実した人生を送るためには自らを磨き続けることです。人間が学ぶためには,人間が自己の充実を目指して自らを磨き続けるためには,自らの心の中に打ち立てる確固たる目標が必要となります。それは志です。
人間が生涯にわたって学び続けるためには確固たる志を立てること,すなわち立志が必要であり、この立志こそ,人間の学びの意欲を沸き起こさせ,学びを推進していくパワーとなります。立志を換言するならば,人間が充実した人生を送るために自ら学ぶことの意味を認識することであり、そのためには自己省察が必要となります。 『生涯学習研究e事典』より参照
 
 幕末の志士たちにも愛誦されていた『言志四録』、これから時間をかけてじっくりと読んでいきたいと思っています。生涯剣道にもたくさんのことが通じています。みなさんもこの機会に読んでみてはいかがですか。

 

月を看る

 古来より、さまざまな道の極意を示す喩えとして、好んで月をめぐる比喩が用いられてきましたが、何故なのでしょうか。
 日本武道館発行の菅野覚明著「武士道に学ぶ」P189より。
 江戸時代の儒教的な武士道は、修行の目標を天との一体化に求めました。この天と一つになるということには、二つの意味があります。一つは、あらゆる変化に通じて変わらない、確実な拠り所を手に入れるという意味合い。もう一つは、自己の行い、振る舞いが、天地とともに悠久であるという確信を手に入れること、天は、一定であると同時に不変であります。修行の目標は、天のあり方なのです。

 人の月を看る、皆徒(いたずら)に看るなり。
 須(すべか)らくここにおいて、宇宙無窮の概を
 想うべし。
        (佐藤一斎 「言志録」)

 多数の人は、実はただ漫然と月を見ているだけで、ただ月ばかりを見ていて、月の背景をなすところの空なる下地、すなわち見えない天そのものに思い至っていないということ。人間は、「動いている物」は見えるけれども、「物の動き」の方は見えにくいのです。月を見るときに本当に見なければならないのは、月そのものではなく、見えない動きのほうである。つまり、見るべきは天の働きのあり方にこそあるというのが、佐藤一斎の目のつけどころなのです。月の背景になっている、何もない空なる宇宙、その宇宙無窮の同一性、持続性を思うことこそが、月を見るということなのだ。道というものが、天に根拠づけられていることは、まさに疑い得ない事実として、目の前にあらわれているのです。
 内容が高度で、ちゃんと理解するのは大変ですが、今日この本を読んでいたら気になった所なのです。剣道の稽古、目付けに応用できないか、などと考えながら稽古をしました。
 今日7月3日は、祖父の命日でした。修行の目標のプレゼントを貰ったのかもしれませんね。がんばりま〜す。 

読書中

 ご無沙汰していました。随分と書き込みをしていませんでした。
 剣道雑誌が送られてきましたが、八段合格者のお話の中で、目標を持って稽古する、意識する、分析する、如何にしたら合格できるか、等々勉強になることが一杯書いてありました。じっくり読んで研究したいと思います。 

 目標を持って生きることは充実した生活をおくるために役立つ。「自分を育てる」ことを自分の人生目標に加えてみること。すると、自分を育てることは幸せに暮らす習慣や能力を向上させる。日常生活で遭遇する問題を自分を育てる材料とし、目標を持ってそれを実現するために努力する。そういう心構えと経験が自分を育てる。自分を育てなければ、昇段は望めない。ですよね。

 目的は、目標を具体化し、面白くする。目的に支えられない目標は、面白くないし、楽しくない。目的とは、理念であり、生き方である。人生の目的は、理屈の脳で捏ね上げるものではなく、心で感じるものである。では、どうしたら、人生に生きる意味と価値を与えてくれるような、素晴らしい目的を持てるのだろうか。
 「人生の目的が見つかる魔法の杖」より
だだいま、この本を読書中。では、また。


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