2010年09月23日

鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会

 来る10月3日(日)、鹿島神宮において、古武道交流演武大会が開催されます。鞍馬流剣術も6名(東山、岩田、松尾、吉田、松井、柴田)で出場する予定です。ご都合のつく方は、是非お参りかたがた、見学して下さい。
 古武道協会HPより、要項をご覧下さい。


 第1回 鹿島神宮奉納 日本古武道交流演武大会

今年度より武神を祀る鹿島神宮の社殿前特設演武場にて日本古武道協会加盟流派29流派による演武会を行います。

日 時
平成22年10月3日(日) 午前10時開会〜午後2時閉会(予定)

場 所
鹿島神宮社殿前特設演武場 (茨城県鹿嶋市宮中2306−1)
(JR鹿島線「鹿島神宮駅」徒歩5分)

演武開始時間(予定)
10:15 鹿島新當流剣術
10:23 佐分利流槍術
10:31 関口流抜刀術
10:39 沖縄剛柔流武術
10:47 示現流兵法剣術
10:55 大東流合気柔術 琢磨会
11:03 宝蔵院流高田派槍術
11:11 天道流薙刀術
11:19 心月無想柳流柔術
11:27 尾張貫流槍術
11:35 伯耆流居合術
11:43 高木流柔術・九鬼神流棒術
11:51 直心影流薙刀術
11:59 柳生心眼流甲冑兵法
12:07 氣樂流柔術
12:15 柳生新陰流兵法剣術
12:23 荒木流軍用小具足
12:31 為我流派勝新流柔術
12:39 荒木流拳法
12:47 無雙直傳英信流居合術
12:55 大東流合気柔術
13:03 金硬流唐手・沖縄古武術
13:11 鞍馬流剣術
13:19 長谷川流和術
13:27 北辰一刀流剣術
13:35 琉球古武術
13:43 神道無念流剣術
13:51 無比無敵流杖術
13:59 天真正伝香取神道流剣術



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2010年09月15日

主体的に生きる

 猛烈な暑さも終わり、やっと体が楽になってきたようです。しかし、暑さが過ぎようとすると、暑さが戻って来ないかと思うように、頭では勝手なことを考えたりするものです。
 そんな時に、ヘレン・ケラーの言葉に出会いました。

 一番大事なことは、
 どんな環境が必要かということではなく、
 どんな考えで毎日生活しているか、
 どんな理想を追い求めているか、
 ということなのです。


 何か失敗すると、自分のことを棚にあげて、失敗を自分のせいではなく、他の環境のせいや他の人のせいにしがちです。そして自分の不幸を嘆きがちになることがあります。「こんなはずじゃなかった!」と。
 でも、いくらそう思ってみても、何も変わらないのですよね。現状は。不幸を自分以外のせいにしている限りは、何も好転しないのです。
 自分の進む道を決めるのは、環境でもなく、他人でもなく、自分自身なのですから。その自分がどうするのかを決めること、これが重要ですよね。今不幸だと感じているならば、自分がどう生きれば幸せになれるのか、良くなるのかを決めること、自分自身が決めること、そうすれば、幸せになれる。なぜなら、幸せかどうかは、自分自身が決めることだから。主体的に生きる、これがポイントなのでは?


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2010年09月12日

新宿剣連ホームページ開設

 都剣連のホームページを見ていたら、新着情報に

 新宿区剣道連盟がホームページを開設いたしました。

という言葉をみつけました。クリックするとすぐに見れますので、ご覧下さい。私のことも、写真入りで紹介してくれています。光栄なことです。習成館のホームページにもジャンプできますので、多くの方が見ていただけるということは有難いことです。感謝申し上げます。最後になってしまいましたが、ホームページの開設おめでとうございます。



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2010年09月10日

五省

 今日9月10日は、初代館長柴田衛守の命日です。
 亡くなってすぐに生まれてきたのが、父の弟の一衛です。衛守の一字を貰って名づけられたそうです。今も元気で(85歳)、電話で相談にのってもらっています。叔父さんは、昔の話はあまり言いませんが、海城から海軍兵学校にいきました。昨日書いた「男の修行」の山本五十六をネットで調べてみたら、「五省」という額に目が留まりました。

 
  至誠に悖る(もとる)なかりしか
  言行に恥ずるなかりしか
  気力にかくるなかりしか  
  努力に憾み(うらみ)なかりしか
  不精に亘る(わたる)なかりしか

 わかりにくいので、意訳したものを載せておきます。

  真心に反することはなかったか
  言葉と行いに恥ずべきことはなかったか
  精神力に欠いてはいなかったか
  十分に努力をしたか
  全力で最後まで取り組んだか

 以下は、その説明文です。引用させて頂きました。

 「五省」は昭和7年、旧大日本帝国海軍の将校養成機関であった広島県江田島の海軍兵学校(現在は海上自衛隊幹部候補生学校・第一術科学校がある)の校長であった松下元少将が発案したものです。松下校長は兵学校生徒の訓育を重視され、常として自らに発していた五か条の反省事項を、旧海軍の教育の中で、生徒がその日の行いを反省するために毎日行われる訓示として考案しました。
 その教育の方法は、当番生徒が夜間「自習止メ五分前」に「軍人勅諭五箇条」を奉読後「五省」の五項目を問いかけ、生徒各自は瞑目し心の中でその問いに答えながら一日の自省自戒とするというものでした。
 終戦により兵学校は閉校され、陸海軍に関するあらゆるものが歴史の表舞台から消えてゆきましたが、「五省」に関しては例外でした。日本を占領した米国海軍のウィリアム・マック海軍中将は「五省」の精神に感銘を受け、アナポリス海軍兵学校で現在まで教育に利用しているといわれます。
 Hast thou not gone against sincerity?
 Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds?
 Hast thou not lacked vigour?
 Hast thou exerted all possible efforts?
 Hast thou not become slothful?
  (英訳: 松井康短氏)
 国内においても、海上自衛隊幹部候補生学校で日々の行動を自省する標語として用いられ、海軍時代の伝統が現在まで受け継がれています。

 如何ですか。「五省」、五つのかえりみること、大切にしていきたいですね。


 



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2010年09月09日

男の修行

 山本五十六の「男の修行」という額に目が留まりました。

  苦しいこともあるだろう
  云い度いこともあるだろう
  不満なこともあるだろう
  腹の立つこともあるだろう
  泣き度いこともあるだろう
  これらをじっとこらえてゆくのが
  男の修行である

 苦しいこと、云い度いこと、不満なこと、腹の立つこと、泣き度いこと、そういうことは一杯在る。でも、それを自分を鍛える絶好のチャンスと考えられればひと回り成長できるのではないか。修行とは、自分を鍛える絶好のチャンスのことではないのか。逃げずに真っ向勝負、これに尽きるのではないでしょうか。剣道の稽古の相面勝負のような感じでしょうか。とかく、いなしたり、抜いたり、返したり、技で処理してしまいがちですが、逃げずに面勝負、人生も相面勝負ですよ、ネ。



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2010年09月08日

大森先生の言葉

 今日は、台風の大雨で稽古にいらっしゃる方が少なかったです。それでも求めて稽古に来られる方々には、頭が下がります。

 大森玄伯先生の言葉が載っていましたので、ご紹介します。
一部省略しています。
 

 修練の目標では常に心・気・力が一致するとか明鏡止水の心境で相手と相対して十二分に自分の持てる技量を発揮する、それがまず一番ではないか。それから今度は人間形成がある。湯野正憲先生は剣道というものは瞬間、瞬間に自分を創造する、つくりあげる、そしてそれを鍛錬する、そして人間形成に進む道と言われている。勝ってやろう、どうしてやろう、負けるんではないかという気持ちではなしに本当に相手の姿がそのまま自分の心にぱっと映ってくるような状態そういう心境にいつでもなれることがまず修練目標だと思う。
 一日稽古を怠ける、休むと次の日には観念的なものとか・身体的ものが衰える。だから、鍛え、鍛え抜かなくてはいけない。それによって自然に生まれてくる技とか気力を身につけ人間形成というものまで毎日毎日の練習で真の自己を創造してつくりあげ鍛錬していく。これが百錬自得です。
 その条件を満たすいろいろの方法、平生の練習方法として、「工夫げいこ」と「数げいこ」がある。工夫げいこは、一本一本をよく工夫する。吟味してけい古する。数げい古は、練習回数を多くする、その中で得られるところの拍子とかこつを体得する、これは量的なけい古です。五輪の書では、能く能く工夫すべし、吟味すべし、鍛錬すべしと言葉を使い分けている。前二つは、工夫げいこ。鍛錬するは、数げい古。
 論語の中で「学びて思わざれば則ちくらく思いて学ばざれば則ちうたがう」
という言葉がある。幾らやっても考えない、工夫しないならどうだろうか、という惑いが出てくる。工夫ばかりして、いろんな学ぶこと忘れると壁に突き当たる
両々相まっていかなければならない。よく工夫して、よく鍛錬して、練習することによりその人の底力が出てきます。
 そのためには自分の心構えとして、愛と捨の二つを持っていなければならない。愛は好きであるということ、愛し楽しむことが大切。捨は我(が)をすてること、いろいろ生活の中で制約がある、だから全部打ち込むということは困難 だが、打ち込んでいくということはできる。ただ好きという愛のみではいばらの道は切り開けない。自分が自分の我を捨てて正しい服従心、人から言われたことは素直に受ける気持ちを持つ、自分の気持ちに打ち勝つ(克己心)苦難に耐えること。稽古相手を選ぶという我、気を抜くという我、この我を捨てること大切。
また自分で自分に言い訳をつくり怠けること、これも我です。この我も捨てること大切。
 愛と捨、道を愛する、小我を捨てるこれで平生の稽古が違ってくる。
 もうひとつ良い師につく、正しい指導者につく、これが大切。中村勘三郎(歌舞伎の名優)が今の役者は早くうまくなりたい、上っ面だけ役者の姿求めている
と言っている。剣道も同じ、剣道の指導者であるという心構え、自覚をもってそのために自分を鍛え自分に厳しくする祖先の残した日本伝剣道を次に正しく伝えなければならない。ただの棒振りではダメです。交剣知愛、愛はおしむとよむ、もう一度あの人とやりたいという指導者になって欲しい。



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2010年09月05日

第21回柴田杯剣道大会

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 本日、第21回柴田杯剣道大会が開催されました。皆様のお蔭で、盛会裏に終えることができました。
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 ジュニアクラスの部も元気よく稽古を披露することが出来ました。
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 集合写真です。お蔭様で、無事大会を終えることが出来ました。これも、皆様方の日頃からのご支援の賜物と感謝申し上げます。来年の大会は、7月上旬に行うようにしようと思いますので、皆さん、今から予定しておいてください。7月10日(日)の予定です。誠に有難うございました。
 大会後は、習成館1Fフレンチレストラン「ベレコ」で、懇親会をしました。昨年からお世話になっていますが、美味しくてボリュームがあって、皆さんご満喫でした。ベレコさん、誠に有難うございました。ちなみに、ベレコさんのブログに、大会のことが書いてありますのでご覧下さい。写真も載っていますよ。

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2010年09月03日

ゴム刀

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昨日完成したのですが、これは何でしょうか?自作の木刀、竹刀立てです。
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 如何ですか。一本一本がきちっとまっすぐに立っているところがベリーグットです。取り出しやすく、倒れません。

 また、本日ゴム刀が届きました。このゴム刀は木刀による基本技稽古法をやるには、安全性から推奨されているゴムでできた木刀?です。木刀とは言わないか!なので、ゴム刀。軽くて多少当たっても怪我はしないと思われます。ちょっとしかまだ試していませんが、すり上げ技の時のゴムの摩擦の感覚が新鮮な感じがしました。ゴムとゴムが擦れる感じが独特な感じです。でも、この擦れる感覚が刀や木刀では味わうことが出来ない所なので大切にしていくと見えてくるものがあるかもしれませんね。とにかく、このゴム刀を大いに活用して腕をあげましょう。10本用意しましたので大切に使って下さい。

shuseikan at 22:44コメント(0)│ 

2010年08月27日

覚悟

 昨日の出鼻面の影響か、本日の稽古では自分の方から出鼻面を打ちました。そうしたら、それが、今までになく良い感じで打てたのです。やはり師匠のお導きですね。すっかり上機嫌になりました。単純ですね。(笑)

 「静思のすすめ」読み終わりました。p155より。

 実は、お経の中には「覚悟」という言葉はありますが、「本気」とか「決心」という言葉はありません。なぜなら、「本気」は「気変わり」しますし、「決心」は「心変わり」するのです。そんな変化してしまうものは、一時の気持ちの高揚であって本物ではない。
 しかし、「覚悟」は違います。「悟変わり」という言葉はない。なぜなら覚悟の「悟」は「悟り」ですから、変わらないのです。一度、あなたが本当に「目覚め」、そして「悟り」、「覚悟」の境地に至ったなら、二度と気持ちがぶれることはありません。
 ならば、「悟る」とはどういうことか。それは、現実の自分を知ることです。自分がわかりさえすれば自然に覚悟は出来るのです。
 逆を言うと、現実の自分を知るということは、本当に難しいことなのです。

 如何ですか?この文章。結局は、自分探しの旅ですよね。よくよく吟味すべしですね。

 この本の最後に「徹奘語録」が載っていますので、いくつか紹介させて頂きます。

 自分で選んだ道なのに 自分で迷うことばかり

 その瞬間 刹那刹那が一生一度

 いのちを運ぶで運命 その運転手は自分

 まちがいに 気づいたら 直せばいい

 ここまでと 思ったら そこまで

 あきらめがいい 求め方が弱い どっちだろう

 すぐに答えの出ないときもありますよ あせらずに

 またあとで またあした つもりつもって 今の自分

 たまに湧くやる気は やる気じゃなくて気まぐれ

 日々のくりかえし これに飽きた人が負け


 

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2010年08月26日

恐るべし出鼻面

 今日は新宿剣連へ出稽古に行ってきました。もう十一月の審査の申し込みが始まりましたので、支払い方々気合を入れて行きました。道場へ着くや否やもっと気合を入れて着替え終えている方がいらっしゃいました。
 I切先生です。
 連盟の副会長で、私の高校時代の恩師で、亡き父とは大学の同級生で、御歳86才の先生です。久しぶりに先生に懸ることができました。この猛暑の中、出鼻面を先に打ち込んでくるではありませんか。何と恐るべし。すばらしやI切先生!父と稽古しているようでもあり、今日は良い稽古を頂戴いたしました。とにかくお元気です。

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2010年08月25日

静思のすすめ

 大谷徹奘著「静思のすすめ」文春新書を読んでいます。そのp165から。
 
 心の修練に十段階あると説いています(第十段階にまで到達できれば、「仏」と呼ばれる人になれるそうです)。その五段階に苦しみを除く方法が記されています。それが三つの静慮です。
 仏さまは「心が苦しくなったときには、無理に足掻(あが)かず、心静かに、自分に三つの問いかけをしろ」と言われます。
 その三つの問いかけとは、
 1、安住静慮(あんじゅうじょうりょ)
 2、引発静慮(いんぱつじょうりょ)
 3、弁事静慮(べんじじょうりょ)
 少し専門的な言葉なので、それぞれをわかりやすく説明すると、
 1、の安住とは、「自分に与えられたものを、しっかりと見つめ積極的に受け止めていますか」という問いかけ
 2、の引発とは、「初心を忘れていませんよね」という問いかけ
 3、の弁事とは、「相手の心を忘れ、自分の思いだけで生きていませんか」という問いかけ
 となります。
 私は実際にこの三つの問いかけを自分自身にしてみました。そうすると自分が苦しんでいたときには、他人や他の環境を羨ましく見ていたことが分かりました。また、初心などはすっかりその存在すら忘れ、その時々の楽を求めていましたし、ただひたすらに自分の価値観を振り回す、という行為を繰り返していたことに気がつきました。
 つまり、私はこの三つの問いかけに対して、望まれる答えとは全く逆の行為をなし、自分自身を苦しみへと導いていたようです。
 −−−−−
 「私たちが認めている世界は、すべて自分の心が作り出したものである」「心以外にはなにも存在しない」「すべては自分の心である」という考え方が「唯識」です。  p169まで。

 皆さん、心と対話してますか。この本「静思のすすめ」是非読んでみてください。勉強になると思います。

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2010年08月21日

ノロハヤの太刀

 剣道日本1984,10月号P139に柴田衛守の話が載っています。

 柴田衛守は小沢愛次郎に向かって、ノロハヤの太刀を遣いなさい、と説いた。柴田のいうノロハヤの太刀とはどういうものであるかを、愛次郎は彼の「内原剣話」の中で次のように解説している。

 ノロくてハヤい太刀というのは、文字通り早わざに対しては落ち着いてノロく、ノロい人に対しては早い太刀を遣えということで、要するに相手の出様によって、こちらで自由に扱わねばならぬことをいったものです。それにはまた「両者の間に糸を張っているように懸る人を休ませてはいけぬ。出て来れば下り、下れば出てせめるというようにピーンと糸を張るようにやれ」と私は教わりました。それにはこちらに「残心」の心持ち、一本打ってもまた懸るぞという心持ちがないとそれができない。ウッカリすると居付いてコチラも休んでしまうからダラダラ稽古が長くなる。「懸中待 待中懸」とか「其ノ來説ヲ避ケテ、其ノ惰気ヲ打ツ」とかいうのは残心をあらわした言葉である。こういうふうに稽古をすると、弟子どもは休んではいけない所がわかるようになる。
 「マァ子どもがかかって来るのを子どもが面白い(と思う)ように上手に遣えるようでなくては駄目だ。元に立つ人は、せめすぎては子供が縮こまってしまう。三本に一本、二本打たせて一本打つくらいがいい」といわれましたよ。打たせるといっても気を抜かず態度をくずさずにやる。もちろん相手におびやかされては駄目。いい技が来たら打たせ、引き出してはまた追い込むようにする。

 そして、上のように述べたあと、小沢愛次郎は「すべてこういう稽古は気当たりの剣道がわかると遣えるようになる。ペテン稽古やブッタタキじゃあわからないね。」と結論している。つまりはヘソを竹刀に載せろといった菊地為之助の言葉が気当たりの剣道の精神とすれば、ノロハヤの太刀を遣いなさいといった柴田衛守の言葉は気当たりの剣道の実技なのであった。両者の意見は、共に同一線上に位置している。

 皆さん、参考になりましたか?よくよく吟味すべしですね。


 


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2010年08月20日

「聞く」と「聴く」の違い

 「心を開いて モノを見、心を開いて 人の話を聴く」

「聞く」ではなくて、「聴く」なのです。この違いわかりますか?

 「聴く」という漢字には「耳」だけではなく「目」と「心」が入っています。十という漢字をプラスと読めば、「耳」だけではなく「目」と「心」をプラスしてしっかり聴くということです。「目」は横になっていますが、そのほうが目の形に近いようです。なので、しっかり目を見て、心を開いて、耳だけでなくて、目と心で聴いてみることが大切である、とある本に書いてありました。まさにその通りだと感じ入りました。
 何か人から言われた時に、「そんなことわかっているよ。」と思ってしまう人がいますが、私もよく思ってしまうのですが、実は「そんなことわかっているよ。」と思った時は、わかっていないと思ったほうが良いようです。「確かにそうだ。確かに自分もそう思う。」と素直な気持ちでいられるか、心の在り方、が非常に大切であり、修行すべき点なのですね。(ココロの授業 比田井和孝著より参照)

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2010年08月19日

花火大会

 今日は、明治神宮花火大会でした。屋上から、綺麗な花火を見ることができました。今年は2週間位遅い開催でしたので、久しぶりに見れました。また、稽古がない日でしたのでゆっくりと見ることができました。今日はちょっと気温が下がったようでしたが、今年の暑さは特別ですので、花火の色の鮮やかさが身にしみました。

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2010年08月16日

頭を揚げる剣士

 一昨日は、東京都の剣道登録審査要員等研修会に参加し、昨日は、古武道演武大会に参加し感じたことがありました。それは、一昨日の研修会で副会長の挨拶の中にあったことを感じたのです。その挨拶から。
 昇段をした途端、態度が変わる人がいるという話。本来は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」であるべきだが、「実るほど頭を揚げる剣士かな」になってしまう人がいることが残念である、という話です。
 現代武道も古武道も、驕ることなく謙虚に精進すべき道である、人間形成の道を忘るべからず、ですね。自分も気を付けよっと。

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